「バタヴィア港(21)」(2017年09月06日)

ともあれ、クーンが去ったあとのカスティルに残されたのはオランダ人兵士85人、VO
C職員65人、スンダ人10人、日本人傭兵25人、中国人16人、婦人20〜30人、
子供70〜80人で婦女子はほとんどがメスティーソだった。


カスティルはジャヤカルタ兵と上陸したイギリス軍に完全に包囲され、攻撃が行われるた
びにカスティル守備隊は絶望的になり、どちらに降伏するかを決めるために交渉が行われ
た。攻撃側が共同で総攻撃をかければカスティルは問答無用で陥落したはずなのに、両者
の思惑が完璧に一致しなかったために、カスティルは生き延びることができたのである。
両者は個々にカスティルの降伏申し出を拒絶せず、交渉の座に就いたことから、申し出が
なされなかった側はそのときに攻撃を中止しなければならなくなった。

ウィジャヤ・クラマもデイルも自分がババを引く気はなかったから、損害が大きくなるで
あろうカスティルへの正面攻撃を相手にさせようと互いに考えていた。「どうせオランダ
人は最終的に自分のほうから降伏してくるにちがいないのだから、できるだけ損害を小さ
くして機が熟すのを待っていればよいのだ。力ずくでオランダ人を下そうと言うのなら、
かれがそれをすればよい。」

イギリス人は、同じヨーロッパ人である自分の側にカスティルは降伏してくるだろう、と
高をくくっていた。ウィジャヤ・クラマもその可能性が高いことを予見していたが、たと
えそうなったとしても、お人よしのイギリス人はオランダ人よりはるかにあしらいやすい
と考えていた。おまけにここはわたしの領地なのだ。

カスティルのオランダ人は、最初から絶望的な状況に身を置いたため、むしろ少しでも希
望の灯が見えるたびに勇気を奮い起こした。絶望に駆られて命を無駄に捨てるようなこと
はしなかった。利用できるものは何でも利用したし、それで思わぬ効果をあげたものもあ
る。敵の攻撃を受けているさなかに「クーンが戻ってきてお前たちに復讐するぞ。」と叫
ぶと、攻撃の矛先が鈍ったこともあった。


1月14日、ジャヤカルタ兵の激しい攻撃にオランダ人は、降伏するから攻撃は中止して
くれ、と申し出た。ウィジャヤ・クラマはあっさりと攻撃中止を命じた。オランダ人がカ
スティルを破壊して退去すると申し出たところ、クーンが戻るまでカスティルにいてよい、
とウィジャヤ・クラマは譲歩した。しかしその代償として、賠償金6千リンギットと1千
リンギット相当の財宝を差し出すよう要求した。ブルッケはその要求を呑み、賠償金等を
そろえて降伏文書にサインするため、後日王宮を訪れることを約束し、その日の交渉は終
わった。


1月23日、ブルッケはカスティルの外科医J デ ハアン(J. de Haan)と兵士5名、およ
びスンダ人使用人ひとりを従えて、要求されたものをウィジャヤ・クラマの王宮に持参し
た。ところが王宮の衛兵は一行を捕らえて鎖でしばり、広間へ引き立てた。広間の玉座に
はウィジャヤ・クラマとデイルが隣り合って座っており、辱めを受けている一行に宣言し
た。「お前たちは人質だ。」

ほどなくカスティルにその知らせが届いた。オランダ人はその卑怯なしうちを口を極めて
罵ったが、どうすることもできない。仕方なく、身代金として2千リンギットを支払うか
ら人質を返してくれと申し出た。ウィジャヤ・クラマはその申し出を蹴った。デイルがウ
ィジャヤ・クラマに、「2千リンギットをやるから、オランダ人の言うことは聞くな。」
と唆したらしい。

守備隊長ブルッケが捕らわれてしまったため、ピーテル・ファン・ライ(Pieter van 
Raeij)が隊長代理を務めることになった。数日後、ブルッケはさらに酷い辱めを受けるこ
とになる。[ 続く ]


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