「バタヴィア港(23)」(2017年09月08日) ジャヤカルタをバンテンの直轄領にしてから、ラナマンガラはオランダ人とバンテン間の 交渉を開始させた。ラナマンガラはオランダ人を領地から追放することにしていた。だか らカスティルを取り壊し、兵器と資産の半分を引き渡し、今後二度と南洋海域にやってこ ないことを約束せよ、とバンテン側はカスティル守備隊に要求した。 オランダ人が撤退するにあたってバンテン側は4隻のジャンク船を用意するので、バンテ ンに立ち寄って、沈没したデスワルテレウォ号の生き残り60名、ウィジャヤ・クラマの 人質にされたブルッケ以下の7人とバンテン商館員の身柄を受け取ってから本国へ帰れと いう、オランダ側にとっては悪くない条件が付けられている。しかしオランダ人は即答を 避けた。 この事態の急変に対してイギリス人はどのような方針を取ろうとしているのか、それをオ ランダ人は知りたかったから、「降伏合意の内容をどのように実施するのか、その予定を 知らせてくれ。」と問い合わせをかけた。イギリス側からの返事はこうだった。 「状況の新展開にともない、その実施は不可能になった。当方は全員が船に戻るので、い ま陸上に散開しているイギリス軍が岸から乗船するさいに、もしバンテン軍がそれを阻む ようなら、カスティルへ受け入れてもらいたい。」と反対にオランダ人を頼って来た。オ ランダ人は予想外の展開に驚いたが、アジア人を相手にする同じヨーロッパ人という一体 感を踏まえて、イギリス側の依頼に承諾を与え、そしてバンテン王国に対しては要求を呑 むことを表明した。 2月6日、陸上のイギリス軍は平穏無事に船に引き上げた。 2月9日、オランダ人は撤収にあたっての実施細目の打ち合わせをバンテン側とはじめた。 打ち合わせを進めている中で、バンテンの示した条件がさらに交渉可能であることをオラ ンダ人は見出した。 どうやらバンテン側もデイルやウィジャヤ・クラマと同様に、正面切っての戦争を避けよ うとしている気配が濃厚であるように、オランダ人は感じたのだ。優位に立っていること を悟ったオランダ人は、バンテン側が提示してくる条件を少しでもオランダ側に有利にな るように、執拗に反論を続けて交渉を長引かせた。 合意内容は変化して行った。クーンが戻ってくるまで、オランダ人はカスティルに居住し てよい。バンテンに引き渡すのは兵器50%、財貨25%。今後もバンテン王国との通商 を継続する。バンテンに囚われているオランダ人を全員釈放せよ。オランダ人の生命と財 産を原住民やイギリス人から保護せよ。それらを間違いなく遵守するというバンテンスル タンのアルクルアンに誓った誓約書を差し出せ。攻守逆転するというのはこのことだろう。 業を煮やしたバンテン側は、ウィジャヤ・クラマの手からバンテンへと移されて依然とし て囚人の境遇に落ちているブルッケを使ってカスティルのオランダ人を服従させようと考 えた。カスティルに送られてきたブルッケの手紙には、「早くカスティルを退去しないと、 バンテンはカスティルの住人をはじめバンテンに捕らえられている囚人たち、そしていま だに近海をわけもなくうろついているイギリス船隊にまで、重税を取り立てる意向だ。」 といったことが書かれていた。ともあれ、このような交渉が続けられている間は、オラン ダ人はカスティルに居続けることができるのである。ブルッケからの手紙が届くたびに、 バンテンが自分たちの思うつぼにはまっていることをオランダ人は喜んだ。[ 続く ] 「バタヴィア港」の全編は
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