「バタヴィア港(24)」(2017年09月11日) 3月に入ると、スマトラから戻って来たデルフト(Delft)とティクレ(Tigre)の二隻の小型 船が、商品・黄金・火薬・食糧と十数人の兵員をカスティルにもたらした。そのころには 地元民もカスティルの周辺に市を開くようになり、コショウや他のスパイスの取引も行わ れるようになった。 そんなころにひとりのポルトガル人がジャヤカルタに現れ、自分はチレボンのスルタンを 介してマタラム王の特使に任じられた者だと名乗り、マタラム王はオランダ人の勇気を讃 え、ジャヤカルタとバンテンを非難し、カスティル解放のために1千隻の水軍と数千人の 軍団を派遣する、とのメッセージを伝えた。 そのポルトガル人はそれからジャヤカルタを去ってバンテンに向かい、バンテンのスルタ ンにそのメッセージを伝えた。バンテン側が驚きをにじませたコメントを返すと、その返 答をマタラム王に伝えるため、ポルトガル人は去って行った。 マタラム王からのメッセージは誰もが半信半疑だったが、それはともあれ、自分たちが置 かれている状況を全員に再認識させるのに十分な効果を持っていた。マタラムの脅威に対 抗するためには、バンテンとジャヤカルタでバンテンとオランダが互いに敵対していては ならないのだ。両者は同盟してマタラムに対する共同戦線を張るのが、最善の方策なので ある。事態は新たな局面を迎えつつあった。オランダ人はカスティルの防衛力強化に努め たし、バンテン側もジャヤカルタ進駐軍の兵員を4千人超に増やした。追放されたウィジ ャヤ・クラマも、このまま引き下がってはいないだろう。 ジャヤカルタに立ち寄るオランダ船や諸国の船がクーンからの知らせをカスティルにもた らすようになった。クーンはジャヤカルタへ戻ってくる準備をマルクで整えている。総督 が戻ってくるのはもうすぐだ。カスティルの中に新たな希望が渦巻いた。カスティルの住 民のすべてが久方ぶりに抱いた安堵感だった。ひとびとはカスティルを守り抜く決意をふ たたび固めた。 月が変わったある日、バンテン兵の一部隊がカスティルの防備に関する提案を携えてやっ てきた。そしてカスティルに入るや、そのままカスティルをその指揮下に置こうとした。 オランダ人が黙っているわけがない。激しい抵抗に会ったバンテン兵は命からがら、カス ティルから逃げ出した。 4月9日夜半、カスティル守備隊の指揮を執っていたピーテル・ファン・ライとカスティ ルの総兵力とも言える30人の兵士はひそかにカスティルを抜け出し、バンテン軍の主要 陣地2カ所を続けざまに襲撃した。その奇襲は成功したものの、三度も続くわけがない。 3カ所目では、既に待ち受けていたバンテン軍との間に激しい戦闘が行われ、オランダ兵 士20人が刃物傷を負ったが、すべて軽傷だった。バンテン側は4人の死者を出した。 4月10日、ライはバンテン軍指揮官に会いに王宮を訪れた。昨夜の襲撃はやむを得ず行 われたものであり、閣下への知らせが遅くなってしまったことをお詫びする、とライは切 り出した。ジャヤカルタ兵とバンテン兵の中にマタラムに内通している裏切り者がジャヤ カルタを敵の手に渡そうとして暗躍しており、マタラムはジャヤカルタ進攻の準備を進め ているとの情報が得られたため、裏切り者の心胆を寒からしめて動きにくくさせるのを目 的に、急遽夜襲の挙に出てしまった、と説明した。指揮官はこの事件についてバンテンの スルタンに対し、つまらぬ誤解によって衝突事件が発生したとだけ報告している。 この日、カスティルにオランダのフリゲート船2隻がマルクから到着した。カスティル内 が湧きたつような知らせをもたらしたのだ。クーンが船隊を率いてマルクを出発し、ジャ ヤカルタへ向けて進軍中であるというのがそのニュースだった。カスティル内に歓声があ がった。[ 続く ] 「バタヴィア港」の全編は
⇒ こちら
でお読みいただけます。