「外国語習得はその言語国に住むべし」(2017年09月15日)

言語習得は読み書きだけで終わらない。特に国際的なヒューマンコンタクトが重視されて
いる現代グローバル社会で、会話力を涵養しなければ時代の流れから置き去りにされるの
は火を見るよりも明らかだ。

外国からの知識情報を一部の翻訳者が日本語に変換し、日本語環境の中で世界に接してい
た伝統を持つ日本民族の体質は、徐々に国際標準的な方向に変わりつつあるとはいえ、そ
んな時代の変化を受容できない精神構造が依然として社会の一部をかたくなに縛っている
ありさまは、民族の活力が先細っていく懸念をもたらしている。

古い体質における外国語習得が教室内での頭脳活動を主体にしてきたために実用性よりも
知識量を重視する姿勢が育まれたことは周知の事実であり、多重言語者を頭の良い人間と
して見上げるような奇妙な評価感覚が一般に定着してしまった。たが、環境次第で人間は
多重言語者になれるのであり、学校の成績が劣であっても、文字表記を正しく行えなくと
も、かれらは現実に多重言語者になっているのである。


世界言語となった英語の会話力を涵養するために、村をあげて日常生活を英語で行ってい
るところがインドネシアにある。東ジャワ州クディリ(Kediri)県パレ(Pare)郡トゥルンレ
ジョ(Tulungrejo)村とプルム(Pelem)村がそれだ。県下では英語村と呼ばれている。

英語村の主役は学生や生徒たちが担っている。つまり英語学校が地元や村外からやってき
た学生生徒たちに英語での日常生活を強制し、村民がそれに協力して村中を英語で埋め尽
くしているというのが、そのおおよその姿だ。

学生生徒たちの親族が会いにやってきて英語での会話が行えない状況が生じると、かれら
はインドネシア語やジャワ語を使用する許可を教師から得なければならない。つまりそう
いう心構えを学生生徒たちに持たせているということなのである。

センターオブイングリッシュラーニングで教師をしているパレ出身のワルシト君21歳は、
学校休みの時期になると生徒数が増加する、と語る。
「7月半ばにはソロから69人、それ以外の町から15人が来ました。ホリデーコースを
取る者もいれば、レギュラーコースに入ったひともいます。7月第三週にはタングランか
ら250人が来ました。8月にはボゴールから120人が来ています。」

パレ郡一帯に外国語学習機関はおよそ160あり、かれらが英語村運営フォーラムを結成
している。もちろん学習機関の多くは英語だけでなく、アラビア語・ドイツ語・フランス
語・韓国語・日本語・北京語なども教えている。それは5年くらい前から強まって来た傾
向であり、外国語を英語に限定するのでなく、多種類の言語を用意して生徒に多様な機会
を与えようとするグローバル化のコンセプトによっている。英語村はそのうちに外国語村
に名を変えることになりそうだ。マレーシア・タイ・リビアの若者がかつてこの村で学ん
だこともあったそうだ。


この英語村の歴史をたどると、パレにあったプサントレンに英語の達者な導師がいて、英
語の上達を希望するサントリを教育していた。その噂を聞きつけたスラバヤのスナンアン
ペル国立イスラム教大学学生ふたりが英語の特訓を求めて訪れ、ふたりの英語力は見違え
るように向上した。そしてふたりが大学の英語の試験に優秀な成績で合格したことから、
「英語を習うならパレに行け」という話が広まったそうだ。

トゥルンレジョ村やプルム村の目抜き通りを歩くと、やたらと英語の看板が目に付く。い
くら英語学校で英語を学んでも、日常生活が英語で営まれていない土地では、学習効果が
半減してしまう。

インドネシアへ英語を学びにくるくらいなら、オーストラリアで遊びながら滞在するほう
がよほど英語が上達するにちがいないというのがわたしの持論だが、パレの英語村だけは
例外だ。