「ノートラストソサエティ(前)」(2017年09月18日) インドネシア銀行が推進しているキャッシュレス国民運動は順調に進展しているようだ。 Visaが行っているサーベイで、現金より電子マネーの使用を好むと答えた回答者は8 割に上った。2015年のサーベイでは69%しかいなかったから、電子マネー愛好者は 激増している。また5年前よりも持ち歩く現金が減っている、という回答者は34%いた。 かれらは電子マネー普及の先鋒だ。 Visaは電子マネー決済のためのデータセンターをインドネシアに二カ所設け、17年 8月から稼働を開始させた。それ以前は国外のデータセンターを使っていたから、電子マ ネー決済のスピードと効率を向上させる態勢に既に入っていると言える。 消費者にとってキャッシュレスは便利で安全というメリットがある。インドネシア銀行に とっても、貨幣の生産・流通・供給管理などにかかっていたコストが減少し、おまけに贋 札のリスクも低下するというメリットがある。 そんなことは何十年も昔から分かり切っていたことだが、それがなかなか進展しなかった のは、インドネシアの信用経済がはなはだ低レベルにあったからにちがいない。信用経済 が盛んにならないのは、社会的なトラストが低レベルだからだ。フランシス・フクヤマ氏 はhigh/low-trust societyという分類を行ったものの、インドネシア人はなんとno trust societyという表現を考案した。つまり自分の国はノートラスト社会だと自嘲していたの である。 世の中ではいまだにキャッシュ指向が強く、貸借を作ればいつ回収できるかわからず、そ して詐欺や金融界の不祥事や理不尽な形での損失があらゆるところで多々発生していると いうのに、キャッシュレスに向かって邁進している事実はひとつの驚きではあるまいか。 いや、むしろ、キャッシュレスを進展させることで社会的なトラストが向上していくとい う、奇跡のようなプロセスを狙っているのかもしれない。 「信じる者は騙されやすいが、疑う者は騙されにくい」という原理がそこに介在している のは言うまでもあるまい。自分の身内でない初対面のよそ者に常に疑惑の目を向けるのは 「人を見たら泥棒と思え」原則のなせるわざであり、それがノートラスト社会の基盤をな している。自分の身を護るために赤の他人に疑惑の目を向けるのは自衛本能のなせるわざ なのだが、その一方で「curiga, curiga, curigaaaaa!」という態度は失礼で非文明的な その人間の精神性を象徴するものだという見方も同時に存在し、imagined communityに向 かうのが文明化のプロセスであると見なす倫理観もそこに併存している。 ノートラスト社会は言うまでもなく、非文明的だ。だから社会構成員が文明化すれば、ノ ートラスト社会が1ランク上昇するかもしれないが、その前にノートラスト社会が文明化 した社会構成員の全財産を奪い去っているかもしれない。[ 続く ]