「続スナヤンのカウボーイ」(2017年09月18日)

2017年4月5日付けのインドネシア情報ライン記事「スナヤンのカウボーイ」の事件
は、多くの難事件を続々と解決している首都警察すら、いまだに何の手掛かりもつかめて
いない難題中の難題だ。その発砲者がかつて首都警察の手掛けた犯罪者のデータバンクに
見当たらないため、警察はその男を首都圏犯罪社会の新参者だと見ており、つまりはその
犯人に接近する術がないという結論に至っている。

ところが去る2017年9月5日、前回のものと類似の事件が発生した。スナヤンのプラ
ザバラッ地区で口喧嘩した二組の若者グループの一方が乗って来たトヨタアヴァンザでそ
こから去り、グルバンプムダ通りまで来たとき、喧嘩相手のグループが四輪車2台で追い
かけてきた。

TVRI前で追跡者は拳銃を二発発射し、スピードをあげて逃げる先行車にタマンリアス
ナヤンで追いすがると、また二回発砲した。トヨタアヴァンザの後部には弾痕が三つあっ
て、銃弾が一個発見されている。

執拗に追いすがる追跡車はスナヤンからガトッスブロト通りに入る高架道路の上で先行車
の前に回り込んで走行を阻んだ。そして車から降りると野球のバットを手にして先行車に
近付き、車の窓ガラスを粉々にした。それが9月に起こったコボイ事件のあらましだ。


アヴァンザに乗っていたうちの3人が窓ガラスを粉砕されたときに負傷したが、追跡者は
10人に直接暴力を振るわなかったためにそれ以上の人的被害は発生していない。モータ
ーギャング(geng motor)がひとりの人間を捕まえておもちゃにし、大勢が寄ってたかって
殺してしまうというあのパターンは、さすがに10人に対して行えるものではなかったよ
うだ。

深夜の繁華地区になっているスナヤンのプラザバラッに集まって来た肩で風切る若者たち
が互いにガンつけし合い、乱闘へと向かう。ただし今回のは、乱闘勃発前に物売りや他の
大人たちが割って入り、乱闘は防がれた。アヴァンザで来た10人の若者は、喧嘩相手に
一応の詫びを入れて立ち去ったのだが、喧嘩相手は執念深さにおいて筋金入りのコボイだ
ったようだ。筋金コボイは8人組でアヴァンザを追いかけてきた。そして銃撃という上の
ストーリーにつながっていく。


インドネシアの男たちの間ではいまだに、格闘つまり喧嘩で強いのが男の値打ちだと確信
している者が多数を占める。そして強いことが社会的に偉いことだという自負に溺れてし
まう。日本の江戸時代に剣術の腕に覚えのある若侍が、あるいは喧嘩道に悪名を馳せた無
頼の徒が世間の中で示すあのふるまいとまったく共通の根をわたしはそこに見出す。

そして、その強弱つまり勝敗を決める場においては、敗者の死というのが最終ゴールにな
るのも、日本の江戸時代やそれ以前の姿とそっくりのような気がするのである。要するに、
他人を殺せる者は強い勇者なのである。

タウランやゲンモトルあるいはストリートジャスティスが敗者の死と勝者の栄光というパ
ターンで彩られている事実は、否定できるものではあるまい。法治によって警察に逮捕さ
れ、裁かれて刑罰を受けることが敗者を意味しているのだという観念は、また次元の異な
る話になっている。

だから首都警察が3月の事件と9月の事件を同一犯のものと考えているわけではなく、こ
の種の風潮が高まることを懸念しているというのが実態のようだ。