「バタヴィア港(32)」(2017年09月22日)

ピーテルのほうがサルチェに接近して行った。ゆっくりと時間をかけて、この少女の最初
の男になるのだ。軽いコンタクトが繰り返されて親しさが増し、サルチェの日常の意識の
中にピーテルが常住するようになったとき、ふたりの恋の炎が燃え上がり、そして破局に
向かって転がり落ちて行った。

夜中にピーテルがサルチェの個室に忍び込んでくることが何回か起こった。だが総督館は
夜中でも千の目を持っている。おまけに場所が場所であり、そしてその主がクーンだった
のだ。その面を軽く見たのも、ピーテルの未熟さだったに違いない。総督諜報隊の幹部か
らサルチェの品行に関する報告を聞いた時、クーンは最初それを与太話だと思った。

総督として処理すべき問題が山積されているというのに、ゴシップ話は聞きたくもない。
だがある夜、深夜まで執務していたクーンが寝室に向かっているとき、サルチェの部屋の
扉がわずかに開いて男がひとり部屋の中から滑り出てきたのである。クーンは壁際の灯り
を手にしてその男に向け、大声で衛兵を呼んだ。男は捕縛された。クーンがサルチェの室
内に入ったとき、不安で蒼白な表情になっている、寝乱れたサルチェの姿がそこにあった。
「何ということだ。このわしの居館を神をも恐れぬ不倫行為で汚すとは・・・。」

カルヴィニズムの忠実な信徒であるクーンにとって、性行為は婚姻という枠の中でのみ認
められるものだった。夫婦になっていない男女がそれを行うのは、神への冒涜である。全
バタヴィア住民に範を垂れなければならないクーンは衛兵に命じた。
「このふたりの姦夫姦婦を絞首刑にする用意をせよ。」

総督館が騒がしくなった時、噂はたちまちカスティルの中に広がった。クーンがふたりを
処刑しようとしていることを知った司法評議会員がそれを阻むためにやってきて説得した。
いかなる罪人であっても、法の裁きを受ける権利があるのだ。クーンはふたりの処遇を法
に委ねた。1629年6月17日深夜のできごとだった。


6月18日、司法評議会での審議が開始され、結婚していない若者と少女が総督館の中で
行った性行為は明らかに宗教が禁じている行いであり、ふたりは神への冒涜と不倫の罪を
犯したことで有罪判決が出された。罪を犯した者は罰せられなければならない。ピーテル
・コルテンフフには断頭による死刑が決められた。VOC高官であるジャック・スぺクス
の娘サラには、死罪は与えられず、公衆の面前における鞭打ち刑が宣告されたのである。

クーンはその裁判の進行にまったく介入せず、判決への反論すら行わなかった。総督は絶
大な権限を持っているのであり、判決内容を変えさせたり、あるいは判決審議の場で影響
力を振るい、被告への刑罰を軽くも重くもできるのは周知のことだったにもかかわらず。

サラへの罰を、期限を付けての入牢とするような、もっと穏やかなものにすることは楽々
とできたはずだが、クーンは何もしなかった。妻のエヴァは監督不行き届きとして夫から
強く叱責されたにちがいない。


6月19日、政庁舎表の広場で処刑が行われ、数百人のバタヴィア住民がそれを見物する
ために集まって来た。処刑人に引き立てられてきたサルチェは政庁舎入り口の表で着てい
た衣服をはぎ取られ、その健康で白い若肌に唸る鞭が何度も振るわれた。一方、表の広場
中央ではピーテル・コルテンフフの断頭の刑が行われた。それ以後も処刑刀は長年にわた
って受刑者の血を吸い続けた。刀は同じでも、処刑人は代々入れ替わる。一刀両断の巧み
な処刑人もいたし、数回首を叩いてやっと切り離した拙劣な処刑人もいたらしい。色が既
に黒変した刃渡りおよそ1メートルほどのその処刑刀はジャカルタ歴史博物館の二階に展
示されていたが、今もまだ見ることができるのだろうか?[ 続く ]


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