「バイリンガル、その二」(2017年09月27日)

ライター: スエーデンルンド大学博士課程学生、アンドレ・モレン
ソース: 2004年2月7日付けコンパス紙 "Kedwibahasaan(2)"

ひと月前にわたしはこのコラムでバイリンガル問題について簡単に触れた。その中でわた
しは、バイリンガル家族が一般に使っているふたつのメソッドを紹介した。ひとつは父親
と母親が子供との会話にそれぞれ自分の言語を使う方式であり、もうひとつは家庭内と家
庭外で、地元社会におけるメジャー言語とマイナー言語を使い分ける方式だった。

二つ目のメソッドは、両親が少なくとも話すことにおいてマイナー言語に十分通じている
ことを条件にしている。読み書きは子供が小学校に上がるようになってから必要になって
くる。一つ目のメソッドは「ひとり一言語」方式とも呼ばれ、バイリンガルやマルチリン
ガル家庭でもっともよく使われている方式だ。この方式はバイリンガル者になることが自
然なことがらであるということを本人に認識させるのにもっとも優れた効果を持っている
と通常考えられている。


わたしの子供が20カ月前に誕生した時、わたしと妻は「ひとり一言語方式」を実践する
ことに合意した。わたしはスエーデン語で子供に話し、妻はインドネシア語で同じように
する。ジャワ語はひとまずおあずけだ。

最初この方式は円滑に推移したように思われた。一年半が経ち、娘のナイマはふたつの言
語を十分理解している。ところがナイマが頻繁に独り言を言うようになったとき、わたし
と妻は娘がスエーデン語の方をより頻繁に使うことに気付いた。そして母親がインドネシ
ア語で話しかけても、娘はスエーデン語で返事する傾向が出現したのだ。ナイマが使う語
彙の8割から9割がスエーデン語だった。

わたしと妻はナイマをバイリンガル者に育てることで合意したというのに、その状況に直
面してわたしたち夫婦は不安に落ち込んだ。周辺状況をよくよく観察したものの、出てき
た結果は悲しむべきものだった。


わたしたち一家が住んでいるスエーデンの一都市、ルンドで、スエーデン語と他の言語を
家庭内で使っている家の子供たちをわたしは観察した。わたしたちのような混交結婚家庭
の子供たちの多くは、たいていメジャー言語しか使えないことが判った。マイナー言語を
聞いて理解できる子供も中にはいたが、多くの子供はその言語を日常生活の中で使うこと
ができなかった。

両親が共にマイナー言語者である家庭でも、状況は似たようなものだった。そのような家
庭の子供たちは、家の中でマイナー言語を使う能力がスエーデン人との混交結婚家庭の子
供よりも高くはあったものの、それでも家庭内でスエーデン語を使う傾向は顕著にあった。
アラビア語で質問されても、子供の返事はスエーデン語になりがちだったのである。

言語(あるいは異言語)を習得するひとはだれでも、妥当なインプットを必要とする。妥
当なインプットが得られなければ、その言語習得は失敗する。その原理とわたしが行った
観察結果を元にして、わたしと妻はナイマへのインドネシア語に関するインプットが不足
していたことを理解した。ナイマの生活の中では、父親から、幼稚園から、テレビやラジ
オから、友達から、親戚から、あらゆるスペースがスエーデン語で満たされているのだ。
その一方、インドネシア語は母親と数少ないインドネシア人の友人からしか入ってこない。
このアンバランスに対処するために、わたしと妻は家庭内でインドネシア語だけを使うこ
とを決めた。

こうして我が家は「ひとり一言語方式」を取りやめて、「メジャー:マイナー方式」に転
向した。ナイマをそれ以上煩わせたくなかったため、わたしと妻は更なるメソッド変更が
起こらないように願った。

メソッドを取り換えて数週間が経過したいま、早くも喜ぶべき進展が観察されている。ナ
イマのインドネシア語の使用が、もちろんスエーデン語がマジョリティであるにはあるが、
増えてきたのである。インドネシア語の語彙が急増してきた。バイリンガル者に育てると
いう目標に関するコメントはいまだ時期尚早であるとはいえ、この「メジャー:マイナー
方式」というのは、現在わたしの一家が置かれている状況に対してはるかに適切なもので
あるように思われる。

現在わたしはスエーデン語:インドネシア語辞典を編纂中であるが、たとえバイリンガル
者育成に失敗したとしても、ナイマはそれを使えばよい。もし成功した暁には、かの女は
それを使う必要がなくなる。それどころか、その辞典の改訂者になってくれることだろう。