「秘密言葉」(2017年09月28日)

ライター: 言語オブザーバー、スエーデン在住、アンドレ・モレン
ソース: 2007年3月9日付けコンパス紙 "Bahasa Rahasia"

片道で乗客一人当たり1.5トンのCO2を排出する乗り物に長時間かしこまって座った後、
われわれはついにジャカルタに到着した。疲れとこの暑さには、参ってしまった。ちょっ
と疲れを癒してから中部ジャワへの旅を続ける前に、しなければならないことがいくつか
ある。

まずビザだ。わたしは窓口へ急ぎ、支払いを済ませた。イミグレーション職員は英語でわ
れわれのインドネシアでの滞在予定について質問した。わたしはインドネシア語で答えた。
最初は怖そうな表情に作り物の威厳をかぶせて相対していたその職員は、「Kami pulang 
ke kampung halaman.」というわたしの返事にスマイルを浮かべた。しかしわたしの傍ら
に立っていたもうすぐ5歳になるわたしの娘は、二コリともしなかった。表情は不審に満
ちて、まるで信じられないものを見ている様子だ。わたしは放っておいた。きっと疲れて
いるんだ。だったら、それは当然じゃないか。

そのあと、別の窓口へ行く。ビザ代金を支払った証憑を見せて、パスポートにスタンプを
捺してもらうのだ。スエーデンのインドネシア大使館ホームページに指示されていた顔写
真を用意してきたというのに、窓口職員は「Tidak perlu.」と言った。その言葉を聞いた
ナイマは、飛び上がらんばかりに驚いた。手続きを済ませたわたしは娘のナイマに尋ねた。

「Ada apa, dik?」
「Yang tadi pakai bahasa apa, papa?」
「Bahasa Indonesia.」
「Terus, satunya?」
「Bahasa Indonesia juga. Kita kan di Indonesia sekarang.」

この暑い国では誰もがインドネシア語を話せることを、かの女は徐々に理解した。スエー
デンで暮らしているときに秘密言葉だったインドネシア語は、ここではみんなに分かって
しまうのだ。もちろん、その影響は大きかった。

スエーデンでは、他の人に聞こえるのが適切でないことがらについて、われわれはいつも
インドネシア語を使った。インドネシアでそんなことをすれば、ぎくしゃくした雰囲気に
なってしまうだろう。しばらく考えた後、ナイマは質問してきた。
「インドネシアの人はみんなスエーデン語も話せるの?」

「きっとひとりもいないだろう。」というわたしの返事に、かの女はいたずらっぽいスマ
イルを浮かべた。「じゃあ、わたしたちは外で今、スエーデン語を使えばいいんだ。」

そのアイデアはすぐに実行された。この国に来ても、まだ秘密言葉が持てるとは、なんと
ラッキーなんだろう。他人の悪口を言いたいのではなく、他人に聞かせる必要のないわれ
われの会話がすべて他人に筒抜けになるよりは、そのほうがはるかに実用的なのである。


しばらくは、言語問題は統御されていた。しかしスマランに着き、ブローラに向けて移動
しているとき、何が起こったか。その土地のひとびとは、ジャワ語というまた別の秘密言
葉を持っていたのである。まるで理解できないおかしな響きの言葉にナイマは当惑した。
母親がその新しい秘密言葉で祖父母と話すことがナイマを不愉快にした。

わたしはナイマにヒントを与えた。「その言葉はそんなにものすごい秘密言葉じゃないよ。
毎日じっくりと聞いてごらん。秘密のベールは少しずつ溶けて行って、そのうちに意味が
わかるようになってくる。たとえ自分で話せなくともね。」

もちろん、5歳前の子供にそんな説明はたいした意味をなさなかった。母親がその変な言
葉を話しているのを耳にすると、かの女は決まって母親にゴネた。しかしナイマの母親は、
自分の母親との会話に母語でない言葉を使うことの不自然さを嫌がった。

4週間後、わたしはナイマに言った。
「Mungkin kita bisa belajar bahasa Jawa ini nanti, dik?」
「Nggak usah. Sayur saja disebut jangan. Kan nggak benar. Piye toh?」