「バタヴィア港(39)」(2017年10月03日)

農民がほとんどを占めているマタラム兵士は、雨季の到来によって水田の世話を開始する
時期が来たことを思い出した。米の収穫がなければ、かれの一家は飢餓に直面することに
なるのである。

一方、軍司令官にとっては、この土地に雨季が到来することは戦争継続を不可能にする最
大要因となる。チリウン川河口の低湿地帯はそこに直接降る雨ばかりか、遠く離れたボゴ
ール丘陵に振る雨までもが流れ込んでくる受け皿になっていて、冠水で足場が不安定にな
るだけでなく、軍事行動中に鉄砲水が襲ってくれば戦争どころでなくなるからだ。
こうなってしまえば、マタラム第二軍はむなしく引き上げるしかなくなってくる。


12月1日、士気は落ち込み、攻撃の意欲も失われてしまったマタラム第二軍の司令官や
上級幹部たちを集めてトゥムングン・スラ・アグラグルが痛烈な批判を投げつけた。
「お前たちが死ぬ気でここへ出陣してきたようには思えない。このままおめおめとマタラ
ムに戻っても、スルタン殿下のお怒りを蒙るのは間違いがない。マタラムで不名誉な死を
賜るよりは、ここで戦士としての責任を全うするのが、名誉を重んじるマタラム戦士の姿
であろうぞ。」

その言葉に反論する者はいなかった。トゥムングンが処刑の段取りをつけて実施したあと、
マタラム軍は最前線に構築した砦や防御壁を取り壊してから、東に向けて去って行った。


12月3日、静まり返ったマタラム側陣地を調べるために偵察隊がバタヴィア城市の外へ
出た。そしてマタラム軍が野営地を築いていた場所に接近して行ったが、敵兵はひとりも
見当たらない。
かなり開けた場所に着いて、そこが敵の野営地であることを偵察隊は知った。その場所は
今のマンガブサール(Mangga Besar)通りがグヌンサハリ(Gunung Sahari)通りにぶつかる
少し手前のフサダ病院(RS Husada)のあるエリアだ。そして偵察隊はそこで744の死体
が散らばっているのを発見した。首をはねられた者、銃殺された者、刀槍で生命を奪われ
た者などが混在していたそうだ。


スルタン・アグンは翌年のバタヴィア再進攻を計画した。第一回進攻が圧倒的な火力差に
よって不本意な結果に終わったことを十分反省したスルタンは、可能な限り多くの銃砲を
集めて投入する方針を立てた。兵力の差によらず、兵器の威力の差で戦争の形勢が決まる
という、まったく新たな時代の到来をスルタン・アグンは実感したにちがいない。スルタ
ンが調達させた真鍮製の新型砲は射程距離も長く、弾着も正確だった。

また前回の失敗に懲りたマタラム軍は糧食や弾薬の補給も前回より効果的なものにするべ
く、検討を重ねた結果、トゥガル(Tegal)とチレボン(Cirebon)に米や火薬・砲弾を集めて
補給中継基地にし、また穀倉地帯であるカラワン(Karawang)にも食糧補給基地を置いた。
各地で収穫を終えた米や買い入れた火薬・砲弾がジャワ島北岸沿いに船でその二カ所に集
められた。

クーンはスルタン・アグンの心中を知る由もなかったものの、再進攻の可能性は十分にあ
ると考えていた。当然、バタヴィアの防衛力はそれに備えて強化された。しかしマタラム
軍が進撃してくる時期が8月から12月の間だろうということは、クーンに読めていた。

米の栽培と収穫および雨季の到来という要素がそれを決めていることをクーンは理解して
いたのだ。[ 続く ]


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