「スラバヤ北部地区を歴史散策」(2017年10月10日)

三年ほど前から、スラバヤ市北部地区を訪れる若い旅行者が増加している。たとえスラバ
ヤを観光旅行先にしていなくとも、業務出張やあるいはトランジットで立ち寄った機会を
利用して、タンジュンペラッ港(Pelabuhan Tanjung Perak)からトゥンジュガン通り(Jl 
Tunjungan)辺りまでの一帯を、古いオランダ時代の建物などを視野に納めながら散策して
いる旅行者の姿はもはや珍しいものでなくなっている。

そこはかつて第二次大戦のあと、日本軍の武装解除と本国送還および宗主国オランダ復帰
のための暫定的治安維持を目的に進駐してきたイギリス軍とスラバヤ市民が凄絶な戦争を
繰り広げた場所である。そのときのストーリーは、下の作品に紹介されている。

「スラバヤの戦闘」を読む

旅行者たちはその地区にあるトゥグパフラワン(Tugu Pahlawan)、ジュンバタンメラ (Jembatan Merah)、ジュンバタンプトゥカン(Jembatan Petekan)、旧カリソソッ刑務所 (Panjara Kalisosok)、スカルノ生家、東ジャワ州庁舎などのスポットを訪れて、短い観 光を楽しんでいるようだ。 大通りからそれて住宅地区に入って行くと、舗装された狭い路地の両脇には鉢植えの色と りどりの花や緑が満ち溢れ、日中は37℃に達することもある暑熱を和ませている。ホテ ル・オフィスビル・ショッピングセンター・アパートメントなどのモダン施設が街のたた ずまいに威容を添えている一方で、昔ながらのカンプンも地に着いた生命力を誇示してい るかのようだ。九聖人のひとりスナン・アンペル(Sunan Ampel)の故実にちなむ宗教参詣 地区に溶け込んだカンプンアラブ(Kampung Arab)、カンプンブブタン(Kampung Bubutan)、 カンプンプチナン(Kampung Pecinan)などを訪れて、昔の雰囲気に浸る旅行者もいる。 住宅地の中の路地に、オートバイに乗って通過するのを禁止しているところもある。 「Matikan Mesin Di Sini」「Ngebut Benjut」などと書かれた札が壁や塀に貼られ、オ ートバイ運転者は百メートルほどある路地を出るまで、エンジンを点けないでオートバ イを押して通過しなければならない。 オランダ時代の建物の中に、文化遺産として保存が指定されているものも少なくない。国 有農園会社PTPN X−XI、ラジャワリ通りのマンディリ銀行、スラバヤ市警、イン ドネシア銀行、クボンロジョ(Kebonrojo)郵便局、東ジャワ州庁舎、元カリソソッ刑務所 の隣にあるハウスオブサンプルナ(House of Sampoerna)などがそうだ。 ジュンバタンメラからカリマス(Kali Mas)の川沿いをジュンバタンプトゥカンを抜けて 港まで、徒歩や自転車で通勤する港湾勤務者もいる。リラックスできる通勤路だそうだ。 世界的に名を馳せているトリ・リスマハリニ、スラバヤ市長がまだ市の清掃公園課長だっ たころ、かの女は頻繁に川沿いの住宅地区を訪れてゴミや廃棄物を直接川に捨てないよう に説いて回った。川の水は3百万市民の生命線なのであり、同じ市民という連帯意識で川 の水をきれいに保とうという啓蒙にかの女は力を注いだ。市長になってからも市民の生活 環境の美化運動を進め、花と緑に包まれた住環境の実現を推進している。 大通りからベチャの数が減り、アンコッが数珠つなぎのジュンバタンメラ一帯もジャイェ ンロノ公園(Taman Jayengrono)ができて整備された。大通りの両脇には幅2メートル以上 ある歩道が完備され、スラバヤ市内北部地区を徒歩で歴史散歩したい旅行者の便宜が図ら れている。およそ2時間で堪能できるこのウオーキングトリップを、たまたま立ち寄った スラバヤであなたも是非一度お試しになってはいかがだろうか?