「歩道は経済資源(前)」(2017年10月18日)

ジャカルタの、いやインドネシアの歩道は、市民国民が利益や便宜を享受するために力ず
くで争奪する経済資源だ。元々歩くのを好まない国民に政府は歩道を積極的に提供しない
できた。炎天下を徒歩で歩くのは二流三流のライフスタイルであるという文化がこの地を
覆っていたのである。

車道すら自動車が走りやすいように整備しようとしない傾向も、地方行政に見ることがで
きた。それは予算がコルプシに回されているからというのが直接的な理由だが、マジョリ
ティ国民が積極的に苦情してこない項目だからこそ、そういう現象に向かっていたという
ことも言える。というのも、かつては自動車を自ら運転するトアンブサールなどめったに
おらず、自動車を運転する人間はお抱え運転手であるのが常識になっていた。これも、自
分でマイカーを運転するトアンブサールは二流三流だという社会的価値観の根につながっ
ていたと言えるだろう。だから道路の良し悪しは運転手の問題なのであり、納税者である
トアンブサールが運転手の苦労について行政に苦情することもめったになかったからだ。

そういったインドネシアの常識が、現代化・国際化によって今変化の渦中にある。ジャカ
ルタばかりか、全国の地方自治体も競って歩道作りを励行しはじめた。バリ島でも、歩く
ことを好む観光客がたくさん右往左往しているエリアで歩道が整備されているのはいいの
だが、そういう性格を持たないウダヤナ大学キャンパスエリアの自動車道にも歩道が作ら
れ、いつそこを通っても歩行者の姿を見ることはめったにないという現象もインドネシア
のレアリティのひとつだ。

歩道が用意されたから歩行者が増える、という因果関係は存在していないのだ。今政府が
作っている歩道は、まず国民のための安全インフラ確立が第一目的であり、次いで観光振
興のためであり、そして将来歩くのを好む国民性が培われるときに備えての先行投資とい
う意味合いが強い。だから歩行者による歩道の利用状況は場所によって極端な差ができる。

ところが歩行者がたくさんいる歩道は、モダンな歩道が作られる以前からカキリマ商人の
ビジネススペースになっていた。だからかれらをモダンな歩道から排除するためにカキリ
マセンターを別の場所に設けて営業権を維持してやっても、空いた歩道のスペースに別の
カキリマ商人が店開きするいたちごっこが発生し、カキリマセンターに移動した商人たち
が不公平感を抱いて前の場所に戻りたがるというトラブルすら付加されることも起った。

地方自治体は仕方なく、そういう高い経済価値を持っている歩道を見張らせて、潜り込ん
でくるカキリマ商人に対応するという、あまり生産性の感じられない法治の確立を余儀な
くされている。


「歩道」のインドネシア語はトロトアル(trotoar)だ。元々はフランス語の「trottoir」
に由来しており、インドネシア語にフランス語の外来語が入って来たような印象を与えて
いるのだがそうでなく、実はオランダ人がフランス語源の単語を綴りも発音もそのまま使
っていたために、オランダ語として入って来たものなのである。同じことは「運転手」を
意味するインドネシア語ソピル/スピル(sopir/supir)にも当てはまる。これも語源はフ
ランス語の「chauffeur」に由来しており、オランダ人がフランス語をそのまま使ってい
たためにオランダ語としてインドネシアに取り込まれた。[ 続く ]