「プリブミ論争(2)」(2017年10月24日)

そんなイスラム性に傾く心情のゆえに、「プリブミ」という語の社会学的意味合いは単に
「インドネシアアスリ」に限定されるのでなく、更にムスリムであることまで包含してい
るのである。そこから、インドネシアにおける「プリブミ」の法史的見地から見た語義が
マレーシアで使われる「ブミプトラ(Bumiputera)」とほぼ似通ったものであることがわか
る。隣国マレーシアでは、ブミプトラはムラユ系人種を指しているだけでなく、イスラム
教徒であることまで含めている。だから非ムスリムのムラユ人は華人系やインド系と同じ
ようにブミプトラと見なされないのだ。インドネシアでは、同じイスラム教徒であるとい
うファクターがアラブ系をして「プリブミ」概念の中に溶け込むことを、華人系に比べて
はるかに容易にしている。オランダ領東インド時代にその両者は同じように東洋異人カー
ストに置かれていたにも関わらず、である。

オランダ植民地時代の法的人種差別は共和国独立の初期にも継続した。国籍に関する法規
を見れば一目瞭然だ。1945年憲法第6条(1)項だけでなく、第26条にもインドネ
シア国民の条件として「アスリインドネシア」の語句が謳われている。国籍に関わる法規
に関して、インドネシアにおける「ノンプリブミ」の語が持つ法史的語義は、本来われわ
れの同胞であるべき華人系子孫により強く向けられた。

中華人民共和国と共産党の同一視によって、オルラ政府と、更にはもっぱらオルバ政府に、
国籍法規に関わる諸政策が華人系に対する差別待遇を煽る方向性をもたらした。わたしは
ここでその差別的法規を逐一分析することはしない。そのような法規は基本的に、華人系
住民をインドネシア国籍者にする機会を狭め、中国由来の宗教活動や慣習行為を制限する
ことになった。

< 非差別 >
レフォルマシ時代が始まってから、そのような差別的政策は無くなり始めた。BJハビビ
大統領政府の初期から、すべての政策策定と遂行、プログラム企画、行政催行活動実施に
おける「プリブミ」と「ノンプリブミ」の言葉の使用を禁止するだけでなく、それをもっ
と超えた種族・宗教・人種に基づく差別をすべての行政サービスから取り除くよう命ずる
1998年大統領指令第26号が出されている。

アブドゥラフマン・ワヒッ大統領は更に爽やかな風を送り込んだ。2000年大統領決定
第6号で中国の宗教・信仰・慣習活動の禁止に関する1967年大統領決定第14号を取
り消したほか、1945年憲法を改定して大統領にも国籍者にも与えられていた条件であ
る「アスリインドネシア」の語句を削除した。それゆえ、アラブ系子孫のアニス・バスウ
ェダン氏にせよ、華人系子孫のバスキ・チャハヤ・プルナマ氏にせよ、かれらのような生
まれながらにしてインドネシア国籍者である者は、インドネシア大統領になる権利と機会
を平等に持っているのである。

反差別政策は、改定1945年憲法の基本的人権に関わる章、基本的人権法、基本的人権
法廷法、SBY大統領が定めた人種種族差別廃止法など種々の法規の中に明確化された。
SBY大統領は政権末期に現場での差別行為の排除を一層進めようとして、Chinaの語を
Tionghoaに替えることを指示する2014年大統領決定第12号を発している。[ 続く ]