「プリブミ論争(終)」(2017年10月25日)

というのが、最初はオランダ植民地主義が生んだ「アスリインドネシア」である「インラ
ンダー」を指した「プリブミ」という言葉の語義がたどった足跡である。つまりそれは異
人系子孫でない者という狭い意味でなくそれに替わって、改定1945年憲法第6条(1)
項に語句と定義が示されているように「生まれながらにしてインドネシア国籍者であるす
べての者」という意味で使われるべきものなのだ。同じように、同胞たるべき華人系イン
ドネシア国籍者に対する代名詞のようになってしまったきわめて差別的な「ノンプリブミ」
という語は捨て去って使われないようにするべきだ。

ましてや、華人系・共産主義イシュー・宗教などに関する差別的意味合いが2019年の
全国首長選挙や大統領選挙といった政治権力争奪の場における対抗馬打倒のための資本に
されるようなことになれば、多様性豊かなわが民族の織布を護持することに関して、国民
間の社会性の崩壊はきわめて危険なレベルに達するだろう。


だからと言って、わが社会にある人種感情が深刻な社会格差問題を彩っている事態をわた
しが認めていないわけではない。2016年の世銀報告は、インドネシア国民の1%が全
国資産の50.3%を握っており、10%国民が全国資産の77%を支配していることを
示している。その高い格差がインドネシアをして、経済格差大国の世界第三位に位置付け
ているのである。ではあっても、経済格差を差別政策の基盤に置いてはならないのだ。特
定の人種や宗教で差別されることなく、弱小事業者への支援がなされなければならない。

上述のような格差が起こるのは特に、腐敗と癒着の経済システムが依然として栄えている
ためだ。事業者はそこで政治権力者のバッキングを得ることによって、ますます巨大なビ
ジネスの成功を手に入れる。エコノミスト誌が発表した2016年版クロニーキャピタリ
ズムインデックスでインドネシアは、実業家と政治権力者の癒着の分野で世界第7位に置
かれている。そんな現実を前にして、きわめてアンバランスな経済格差問題の適正化手段
が特定人種の事業者に対するものであるはずがない。政権の側にある腐敗と癒着の政策が
その結果を生んでいることが明白ではないだろうか。腐敗した事業環境に対する闘いにこ
そ、照準が当てられなければならないのである。

最後に、スカルノ大統領とは違って、わたしの体内に中華系の血が流れていることを、わ
たし自身がよく知っている。わたしの父はスンダ人で、母はバンジャル人であり、父側の
祖母が華人だった。わたしの子供たちはジャワの血統をもらった。わたしの妻はプカロガ
ンの人間だ。「あなたの出身種族はどこですか?」とあるひとがわたしに尋ねたとき、わ
たしは確信を持って答えた。「インドネシアです。」
[ 完 ]