「プリブミ宗教国家(4)」(2017年10月31日)

1925年にはオランダ領東インドの政体と国政に関する基本法となるIndische Staats-
regelingが定められたが、以前からの政令第109条は維持されて基本法第163条に、
オランダ人・非オランダ系ヨーロッパ人・日本人が第一級の地位を与えられ、その下の階
層がプリブミおよびプリブミ社会に入った者と定義された。たとえばヨーロッパ人女性が
プリブミ男性の妻になった場合、かの女は法的にプリブミ階層として扱われた。また東洋
異人(Timur Asing)の概念も継続され、華人系・アラブ系・インド系などの渡来者と子孫
はこの区分に属した。つまりかれらはプリブミとされなかったのである。

インドネシア共和国が独立して白人支配者が去ったあと、政治権力を握ったプリブミは東
洋異人層をノンプリブミとして区別した。ところが区別と差別の向く対象がそのうちに華
人系に絞られて行くというアンフェアな状況が展開されたのは、既に周知の事実だ。しか
し言葉の定義としては、アラブ系の子孫はノンプリなのであり、新都知事が自らをプリブ
ミと称したのはその定義に合致していない。

バスウェダンというファミリーネームは典型的アラブ系のもので、バセダンやバスワイダ
ンといったバリエーションを持ち、世界中に分布している。人数がもっとも多いのはイン
ドネシアで、サウジアラビアがもっとも密度が高いそうだ。その意味から、アニス・バス
ウェダン都知事が自分をプリブミと呼ぶのは、プリブミという語の定義に合致していない
のである。

しかしながら、この土地で生まれ育った土着の個人であることを主張する精神性が異民族
系の子孫にあっても少しもおかしくはない。だから混血ながらプリブミとして純血プリブ
ミの中に迎え入れてほしいという心情は認めうるものだろう。だったらそれは華人系にも
同じことが言えるはずだ。だからこそ「Pribumi Muslim」というスローガンの垂れ幕が出
現したのである。もちろん、ムスリムになっている華人系インドネシア国籍者は数多い。

ここに絡んでいる要素は、バスキ・チャハヤ・プルナマ前都知事がムスリムでなかったと
いうだけの話なのである。だからこそ選挙戦の大義名分はムスリムとノンムスリムの対決
となったのだが、公的には大きな声にならなかったにせよプリブミと華人系という空気が
その上にのしかかっていたのも事実だった。

つまり今起こっているのはそういう二重構造を持った差別と排斥の地鳴りであり、現在の
国家体制と構造を覆してでも政権を握りたい反体制側がその意欲を持つ一部国民を動かし
て情勢をその方向に駆ろうとしているウオーミングアップの時期に入っているのではない
かというのが、この「プリブミ」発言事件から受けるわたしの感触である。[ 続く ]