「われわれって、いったい何者?(1)」(2017年11月06日)

ライター: 文化人、ラッハル・パンチャ・ダハナ
ソース: 2017年10月30日付けコンパス紙 "Kita Ini Siapa"

われわれインドネシア民族が自らの由来の歴史に暗く、混乱し、それどころか無知で、お
まけに信じようとしないのも、当然のことだ。なぜなら、そのことがらを解説している書
籍や論説すら、自らのデータを用いての論争の渦中にあるのだから。

一方、国家に忠実な民であるわれわれ自身は、少なくとも国民教育カリキュラムに沿った
歴史教本を用いる公式教育の中で、われわれ自身の歴史に関する国家の教えや手引きを認
めて受け入れている。

国選歴史教本の中でわれわれが目にする内容は、もう何十年も昔から繰り返されてきた神
話やおとぎ話のようなものだ。インドネシア教育文化省発行の2015年版高校生向けイ
ンドネシア史教科書に述べられているように、その51ページには次の記述が見られる。
雲南からインドネシアの島々に、後にわれわれの祖先と見なされるようになるひとびとが
渡来してきた(紀元前2千〜1千5百年)のに付随して、航海と通商が知られるようにな
った。

バタッ・スンダ・ブギス・フローレスの諸種族は鏡を携え、中国が紀元一世紀初めごろに
タイの王国から奪った今の中国南西部の省へ行って、地元民と自分を見比べてみるがよい。
自分たちがどれほど祖先と似ているだろうか?後にヌサンタラと呼ばれた土地の住人とな
った諸種族、ビンネカトゥンガルイカのインドネシア民族を生んだ祖先は、どれほど凄い
ひとびとだったのだろうか?


最近たくさんの専門家たちが発表している新たな発見については、どうなのだろうか?イ
ンドネシアの島々に最初住んだ色の黒いオーストラロメラネシア人は紀元前3千年ごろ7
00キロを航海してオーストラリアに渡って住み着き、更に西に向かってインド洋を超え
て行った。(ベルウッド2000年、リード2005年)

あるいは紀元161年に書かれた古典、プトレマイオスの「地理学」に記されている
baroussaiの町がスマトラ島西岸のバルス(Barus)の町であり、そこで産出する木から採れ
る香液の白い結晶が紀元前1千数百年ごろにエジプトのラムゼス2世の遺体を保存するの
に使われたという記述。ユーフラテス川流域中部にあるテルカの町で発見されたクローブ
の化石は紀元前1千7百年のものと判定されており、ティモール島で発見されたヤギの化
石は紀元前1千5百年ころのものだそうだ。そのころヤギは中東にしか住んでいなかった
というのに。

象に乗った戦闘指揮官がブーツを履き、腕時計のような腕輪を着けている姿を描いた、中
部スラウェシのバダ(Bada)や南スマトラのゴアパセマ(Goa Pasemah)で発見された石のレ
リーフ(ムナンダル2010年)はどうだ?その石は紀元前3千年ごろのものとされてい
る。新しい青銅器の文明をこの国にもたらしたとわれわれが考えているドンソン文化より
はるかに昔ではないか。紀元前9万4千〜1万3千年とされている、フローレス島マンガ
ライのリアンブア(Liang Bua)で発見された人骨化石に関連付ければどうなるか?かれら
は小頭症のためにホビット(小人人種)だったと推測されている。[ 続く ]