「われわれって、いったい何者?(2)」(2017年11月07日)

それら以外にもたくさんの新発見があったのは言うまでもない。その中にはベトナムから
中国北部に至る地域にヌサンタラからの逆流があったとする理論を出現させたものもある。
マイケル・コーとS・ヒューストンの著作「マヤ」(2004:58)はマヤ文明につい
て、「きわめて初期の時代に東部インドネシアからメソポタミアにかけて拡散した・・・」
と記載されている。中に粉飾的と見られるものがあるにせよ、それらのデータはわれわれ
にますます深い疑念を抱かせる。「われわれは一体どこから来たのか?インドネシア人・
インドネシア民族であるわれわれは一体何者なのか?」

< 内なる異邦人 >
ホビットとも呼ばれているリアンブアのホモフローレシエンシスの議論がどのように決着
するのかまだわからないものの、このホビットはホモサピエンスの一部であると唱える故
Tヤコブ教授の説を世界の科学界が正直に勇気を持って受け入れるのは困難だろう。なぜ
なら、もしそうなれば世界中の諸民族の起源が白紙に戻され、それは全学術界を動揺させ
るどころか、気絶させることになるだろうから。

しかしそんなことが起こらなくとも現実に考古学上や古生物学上の証拠は、国選歴史書が
吹聴している神話よりはるか昔にかなり高度な文明がどのようにこの島嶼に築かれていた
かを示している。その中には、カリマンタンのクタイやボゴールのタルマヌガラより以前
に、インド=アーリヤ民族が西暦紀元一世紀初頭にインドネシアへ渡来して最初の中央集
権型(大陸型)諸王国を作ったことが含まれている。

そのできごとはいかにインド人・インド民族が、ドラヴィダ系クリン(Keling)にせよアー
リア系メスティーソにせよ、2千年もの長期に渡ってこの島嶼に共生していたかという理
解をわれわれにもたらしてくれる。それは、ブタウィどころかバドゥイといったインドネ
シアのいくつかの種族が出現するよりはるかに長い期間なのだ。海洋民族としての平等主
義的性格はどうなのか?この島嶼の民衆は異民族との交流を発展させて混血(異人種間結
婚)を推し進め、新たな混血種族を生み出してきたのである。

リアン・リーチー(Liang Liji)教授によれば、中華人・中華民族との間でもそれは同じだ
ったそうだ。ヌサンタラの諸民族は東漢王朝(紀元25〜220年)の時代から中国への
貢納を行っていた。紀元前3世紀から伝統となっていた詳細な諸王朝の記録から中国とイ
ンドネシアの関係を研究した教授は、中国王朝と葉調(Ye Diao = ジャワ)が順帝永建六年
(131年) 以来交流していたことを指摘している。葉調は調便王(Devawarman)、すなわち
サラカナガラ(Salakanagara)王に率いられた西ジャワの王国だった。プトレマイオスがア
ルギュレと記述した王国がそれだ。(Argyre - argentum = perak = salaka)
[ 続く ]