「われわれって、いったい何者?(3)」(2017年11月08日)

現存する史的記録に従えば、ヌサンタラでの華人の存在つまり居住の歴史はインド人のそ
れとほとんど違わない古さだ。7世紀に義浄が数十人の弟子をスリウィジャヤに残したは
るか以前、5世紀の訶陵(Kalingga)王国に僧の會寧がいたことが書き残されている。訶陵
国は厳格で公正な女王の悉莫(Sima)の統治下にあって、その話を耳にした中国皇帝が感嘆
を露わにした。もっと古くは4世紀の法顕で、かれはジャワ島に赴き、半年間そこで暮ら
した。もちろん後胤が残されている。

< われわれのプリブミ性 >
われわれはそれらの歴史的学術的な事実から、われわれの人間および民族としての存在を
読み取り、識別することができる。たとえば、われわれ、あるいはわれわれの一部はアス
リ種族なのか、という本質的な疑問からつまらないものに至るまで答えることも。アスリ
住民別名プリブミというのはオランダ植民地政府が分類したものなのか?もっと深い質問
になると、アスリやプリブミという区分に属す者は本当にいるのか?

解答は明白であり、確信を持って言うことができる。上で少し触れたデータに基づけば、
「存在しない!」。ある考古学者が言うには、「アスリに属すのはホモワジャケンシス
(Homo Wajakensis)やホモソロエンシス(Homo Soloensis)、そして多分ホモフローレシエ
ンシス(Homo Floresiensis)もそこに加えられるだろう。」というもので、多分それが正
解なのだろう。しかしかれらの子孫はどこにいるのか?墓もなく、ただ骨が残っているば
かり。

現在まで生き残っている者たちは、諸方面から押し寄せてきた今は亡き諸サピエンスたち
のミッシングリンク後の人類なのである。何千年もの間、この諸民族は互いに交流し合い、
コミュニティを、一族を、伝統を、そして新たな種族を生み出すために(かれらが創り出
し発展させた)海洋文化のツールを用いた。ヌサンタラの数千の島々のあらゆる町に生育
した、平等・オープン・複合文化的・異文化受容的・容認的・礼節に篤い・その他数十も
の海洋文化独特の性格を通して、先進的コスモポリタン的港湾都市の特徴が形成された。

そのコスモポリタン的都市生活こそが、交流をもたらしたのである。経済面だけでなく、
社会・政治・文化から霊的な面に至るまで。交流の影響によって住民たちに新たなアイデ
ンティティが生じる結果となった。実際には、そのようなアイデンティティが住民に固着
して鋳型にはめるようなことは起こらなかった。なぜなら、コスモポリタン的都市生活と
いうものは常に新しいものの流入が起こっていて、新しいひとびとが別のアイデンティテ
ィを伴ってやってくればそれに応じて変化する流動的なものだったからだ。

その歴史的でプラグマチックな事実がわれわれの実践してきたものであり、われわれは勇
気を持ってそのことを認めるのである。われわれはわれわれだけで自らを形成したのでな
く、他者(よそ者)もそこに混じっていたのだ。その事実はわれわれを自己卑下に向かわ
せるのでなく謙虚さへと導き、それゆえにわれわれをして幸福に浸すことになる。なぜな
ら、われわれ自身の内側には、特徴や性格がさまざまに異なる他者が内包されているから
だ。[ 続く ]