「アタンブアの旅(前)」(2017年11月09日)

見渡す限りの不毛の大地。それがサヴァンナの平原だ。ここがインドネシアだとは信じら
ないような風景がティモール島にある。ティモール島でティモールレステとの国境を擁し
ている東ヌサトゥンガラ州ベル県(Kabupaten Belu)の、日本語グーグルに「レイカーン」
とカタカナ書きされた、ラカアン(Lakaan)山の東側に位置する海抜1千3百メートルの盆
地をなしているフランフェハン(Fulan Fehan)の大平原がそれだ。

かつては騎馬の男たちが部族間の戦いを繰り広げ、討ち取った敵の首を土産にして村に凱
旋した。村の女たちは敵の首を太鼓にして、勝利の群舞に酔いしれた。


ベル県の首府アタンブア(Atambua)の町から東へおよそ26キロ離れたフランフェハンに
は部族間戦争のために原住民が設けたラヌヒトゥ砦(Benteng Ranu Hitu)があり、そこは
ポルトガル人のティモール島攻略に抵抗して地元民が軍事拠点とした場所でもあったらし
い。戦士たちは敵の首を持ち帰って砦の中心部に並べたそうで、それが置かれた石卓もま
だ残されている。

この砦は大石を円形に組んで七層の胸壁構造にしたもので、benteng tujuh lapisとも呼
ばれている。その場所は祖霊が集まることで知られており、祖霊の加護を求めてそこに砦
が築かれたと信じられている。祖霊が戦士たちを不死身の体にしてくれると言い伝えられ
ていたようで、戦士たちはその砦で自らの肉体を傷つけてその傷を観察し、どれだけ不死
身に近付いたかを判断したそうだ。

2017年10月28日にフランフェハンの大平原でフェスティバルが催され、大成功を
収めた。フェスティバルは2018年にも催されることになっているそうだ。このフェス
ティバルは広大なステップを舞台にして催されるものだけに、インドネシアらしくない風
景が観光客のエキゾチシズムを掻き立てるに疑いあるまい。


アタンブアの町を訪れるには、クパン(Kupang)空港で乗り継いで、アタンブアの町はずれ
にあるベレタロ空港(Bandara A.A.Bere Tallo)へ飛行機で飛ぶ。ベレタロ空港は日本軍が
ティモール島を占領したあとに、ニューギニア〜オーストラリア戦のために設営したもの
だ。

アタンブアを訪れる観光客のマスト観光スポットは、全国にほんの数カ所しかない国境通
過ポストのひとつ、モタアイン(Motaain)の国境通過ポストだ。もともと陸上に国境線が
あって、国境を越える手続きが行われていた場所はカリマンタン島とパプアニューギニア
島だけだったのだが、ティモールレステが独立国になったためにこの島にも設けられた。

アタンブアの町から24キロ離れた北海岸線の端にあるのがモタアイン国境通過ポイント
で、豪壮な大門を備えた巨大な建造物がこの通過ポイントの特徴をなしている。その大門
を越えて出国し、5百メートルほど向こうにある大門を入ると、そこは隣国ティモールレ
ストだ。平均して一日およそ150人がこの国境を通過している。ティモールレステとい
う国ができたために、国境一帯に昔から居住していた地元民の多くが、一族分離の悲劇を
蒙った。わずか一本の国境線のために、以前は折に触れて寄り集まっていた一族が異なる
国籍に別れ、容易に集まれなくなってしまったのである。

インドネシア政府はその状況を重く見て、国境通過パス制度を設けてそういう環境下にあ
る地元民に便宜をはかっている。明らかに地元民と見られる風体のひとびとが容易に国境
を越えて出入りしているのは、パスポートを使ってそうしているのではないということだ。
[ 続く ]