「インランダーとプリブミ」(2017年11月10日)

ライター: 語義研鑽家、サムスディン・ブルリアン
ソース: 2017年11月4日付けコンパス紙 "Inlander"

「in-」というのはラテン語の接頭辞で「中で」の意味だ。「land」はゲルマンつまりチ
ュートン系の語族に由来する単語で、ヨーロッパ人の祖先の時代のころから「土地」や
「地方/地域」を意味していた。やはりゲルマン系の接尾辞「-er」は「〜に由来する人」
を指している。冒頭の賢明なる三つの文章が包摂している詳細で深く、学術的・歴史的・
論理的・方法論的でセマンティックな分析に従って、インランダーとは田舎者のことであ
る、とわれわれは確信を持って結論付けることができる。


文明は水辺に興って発展し、水に乗って広まった。メソポタミアのユーフラテス川とティ
グリス川、エジプトのナイル川、インドのインダス川、中国の揚子江、ペルー海岸部のフ
ォルタレザやパティヴィルカあるいはスぺの河口、メキシコのコアツァコアルコス川は人
間社会の6つのオリジナル文明誕生の証人であり、産婆である。その6カ所から文明が発
信されて世界中に広がって行った。

芸術と学問、知識と思考、技術と技能が、川の流れと海風の流れに従って拡散するコミュ
ニケーションと情報のネットワークの中で磨かれ、養なわれていった。更新と変化が水に
乗って訪れては去って行った。ならば、海岸や川から遠い地方はどうだったのか?学び、
模倣したのは言うまでもないが、遅かった。はるかに遅かった。陸上に道を作るのは難し
く、通行は困難だった。障害と危険に満ちていた。山頂・森の中・陸地の中心部などに住
む者たちが未開や後進的といった形容詞で呼ばれて見下されたのは、偶然のことではない。
未開で後進的なのは、内陸人・川の上流居住者・奥地人の宿命だった。インランダーとい
うのがそれだ。


しかしながら、インドネシア人がすべて海岸や川から離れた場所に住んでいたわけではな
い。それどころか反対に、自らを海洋民族と称するひとは大勢いる。もちろんだ。ところ
がインランダーということがらについては、第二義が一義となり、第一義が二義となった。

植民地行政にとってインランダーは、内陸人と水辺の民、川の上流の民と下流の民といっ
た問題なのでなく、先進民族と未開人、われわれとやつら、低級なやつらより優れた自分
たち、つまりヨーロッパ人に対するよそ者の位置付けをもって原住民を区別するためのも
のだった。インランダーというのは、未開で、低級文化で、無教養で、がさつで、汚く、
幼稚で、貧困で、三流で、愚かな、われわれでないやつらを指すコードであり、暗号であ
り、隠語だった。ただし、公式な定義付けにそんな言葉は一言も出てこない。インランダ
ーの区分は東インドの地に治安と秩序を保つための行政上の必要性だけをその根拠にした。

ナショナリズムが世界秩序をひっくり返した。コロニアリズムは悪であり、反抗しなけれ
ばならない。こうしてインランダーはブミプトラあるいはプリブミとなった。もはや後進
的でなく、前衛的で、最主要で、高貴なのである。独立がそれを事実に変えた。奴隷が主
人になった。三流がVIPになった。こうして田舎への帰郷が年中行事となり、誇りと満
足に変化した。


しかし過去は、それに負けないほど破壊的な形で、いまだに痕跡を残している。プリブミ
階級が主になった後、新しいインランダー階級が作られた。都市が頭で村落が尻尾。イン
ドネシア西部地方は進歩し、東部地方は無力。内輪の島々は重要で、外縁の島々は破綻。

人口の大きい種族が繁栄し、アダッ社会や土着民が独立時代のインランダーになっている。
クブ、ダヤッ、ニアス、パプア、バドゥイそして諸々の種族の名を口にするとき、ひとは
唇をゆがめている。かれらの慣習は侮蔑され、原始的だとされている。かれらの信仰はさ
げすまれ、異教とされ、無宗教で迷信的だと見られている。かれらは汚く、幼稚で、貧困
で、三流で、愚かだと思われている。

昨今プリブミという言葉は、やつらでないわれわれとして自らを指すコードであり、暗号
であり、隠語になった。神聖で、正義で、真の主で、神に選ばれたわれわれに対して、ノ
ンプリで、邪悪で、異人で、異教徒で、不実で、裏切り者で、抑圧者で、狡猾で、腹黒く、
プリブミの富を奪い、繁栄を妨害するおまえたち、よそ者のやつら。もちろん、おおっぴ
らにそんなことを公言はしないけれど。