「ジャカルタを正せ」(2017年11月20日)

ライター: 詩人、F・ラハルディ
ソース: 2007年7月6日付けコンパス紙 "Benahi Jakarta!"

都知事選立候補者のひとりが掲げたスローガンが「Benahi Jakarta!」(ジャカルタを正せ!
=ちゃんとせよ)だ。これは述語と目的語だけで構成されているから、句である。今回の
選挙キャンペーンで「Benahi Jakarta!」の句はその前に、例えば「Bosan macet,」
「Ingin tidak banjir,」「Mau aman,」のようなさまざまな別の句が置かれた。良いスロ
ーガンというのはいつも、文でなく句の形を取る。スローガンとしての「Benahi 
Jakarta!」という句は、たいへんアトラクティブだ。これまでこの首都に貼りついていた
ネガティブなことがらが、ジャカルタが正されればポジティブに変化する。

このようなスローガンはさまざまなビジネスプロモーションや社会プログラムキャンペー
ンに頻繁に使われている。たとえば、「でっかいボーナスが欲しい?当方のスタンドへお
越しください。」「健康を希望する?タバコを避けろ!」「貧乏には飽き飽きだって?賭
博を遠ざけなさい。」

そのようなソーシャルメッセージは常に、それらのことがらについて代表的で適格な個人
や機関が打ち出してくる。「健康な暮らしをしたい?タバコを避けろ!」というスローガ
ンは保健分野の著名人が掲げるとき、代表的でターゲットに肉薄するものになる。少なく
とも、健康に見える著名人が述べることだ。


「benahi Jakarta」の接尾辞-iは命令を意図している。命令の調子は感嘆符を付けること
で一層強化される。接尾辞-iにパーティクルの-lahを添えると軟らかくなり、説得や忠告
の色を帯びてくる。「benahilah Jakarta」「hindarilah rokok」「jauhilah judi」など
は軟らかい形だ。都知事候補のキャンペーンコンセプターはそのような句を使わない。か
れらは厳格なものを好むようだ。しかしキャンペーンスローガンとしての強い命令はしく
じりを生み出す。ジャカルタを正せと命ずる者はだれで、命じられる者はだれなのか?

ジャカルタ都知事が都民に対して「Ingin lancar? Patuhi rambu lalu lintas!」と命じ
るのは自然だ。都民には交通標識に従う義務があるのだから。しかし都知事が「Lalu 
lintas semrawut? Benahi Jakarta!」というスローガンで都民に命令することはありえな
い。ジャカルタの支離滅裂な交通を秩序付けなければならないのは都知事自身と都庁職員
たちなのである。

都知事や県令や大統領の候補者は普通、選挙民に約束をする。今現在選挙民が煩わしいと
感じているあらゆることを、かれは正して片付けてくれるというのだ。都知事候補者は副
知事とペアーを組むため、かれらはkamiと言う人称代名詞を使わなければならない。

「Benahi Jakarta!」というスローガンは「Akan kami benahi Jakarta.」とされるほうが
適切だろう。なぜなら、これはまだ公約でしかないのだから。スローガンが長くなれば効
果的でなくなっていくが、その文の方が理解はされやすい。「Benahi Jakarta!」は、言
葉の使い方は効率的であっても、効果的ではなく、それどころか反生産的である。

先進国で市長や知事候補、あるいは大統領の立候補者は特に、そのキャンペーンチームは
多くの人間を巻き込んでいる。社会学者・心理学者・コミュニケーション専門家・言語専
門家・グラフィックデザイン専門家等々が参加する。スローガンにするための単語・句・
文章の選択はさまざまな角度からの検討を経たものになる。

綿密に計画されたスローガンは意思伝達に優れ、ターゲットに命中し、民衆をしてその候
補者を選ぶように駆動させる。良い即席めんの宣伝は「Ingin mi lezat? Akan kami 
penuhi selera tinggi anda.」であり、「Ingin mi lezat? Benahi selera Anda!」では
ないのだ。