「強盗(前)」(2017年12月19日)

ライター: コンパス紙記者、ヘルマス・E・プラボウォ
ソース: 2006年10月17日付けコンパス紙 "Rampok"

ジャカルタ都民の安全と生命を脅かす「ドラマ」はほとんど毎日起こっている。ヒジュラ
暦1427年イドゥルフィトリ祝祭日前の二週間に強盗事件は横溢した。オランダ植民地
時代下の2百年前から今日まで、強盗事件発生の背景をなしている問題は変化していない。
弱小の民がマージナル化されているという現実を示すものがそれなのである。

植民地時代の1800〜1900年にジャワではほとんど毎夜、強盗事件が起こっていた。
ヨグヤカルタ(フォルステンランデン)とスラカルタで強盗はケチュ(kecu)と呼ばれ、中
部ジャワから東側はカンパッ(kampak)、バタヴィアではランポッ(rampok)という語で呼ば
れた。

ジャワ学研究家スハルトノ氏のヌサンタラ文化調査研究プロジェクトはランポッ、ケチュ、
カンパッという言葉のいずれにせよ、その意味する内容を描き出した。一群の者たちが夜
中にさまざまな武器(鈍器もあれば刃物もある)を手にして、被害者に金目の物を渡すよ
う強いる行為である。(今や武器の中には銃火器も含まれ、更には真昼間にも行われて時
間を問わない。)

「ケチュ」という言葉を聞くと、背筋がゾッとする。50歳超のひとびとはまず、そうだ
ろう。強盗犯は人間味のない行為を平気で行う。それがゆえに、昔の地方行政府は所轄区
域内で強盗事件が多発すると、心穏やかでなくなった。

強盗事件の発生は所轄区域が安全でないことを示しているのだ。行政官の権威が地に落ち
るだけでなく、担当地区の秩序安寧を維持する能力を疑われて更迭されることもよく起こ
った。

< 生命の危機 >
今や21世紀であり、インドネシア民族はもう独立したのである。ところが、国民はいま
だに生命の危険に怯えている。西ジャカルタ市メルヤでは、首を洗っていた女性が不意に
後ろから喉を掻き切られ、現金3百万ルピアと携帯電話機2台が奪われた。

犯人と動機はいまだに闇の中だ。別の場所では、いい気持ちでオートバイを走らせていた
市民が突然ナタで腕を斬られ、犯人はそのオートバイを奪って逃走した。

夜中に熟睡しているときに家のガレージに置いてある四輪車二輪車を盗まれたひとは数え
切れないほどいる。暗い夜中に熟睡していると、招かざる強盗団が邸内に出現する。被害
者は寝室内で手足を縛られて転がされる。

今や犯罪は間違いなく身近にあり、恐ろしい手口が自分の身に降りかかってくることを一
般市民は怖がっている。10月15日(日)は一日に三件の強盗事件が起こった。午前5
時ごろ、オジェッ運転手が鎌で腕を斬られた。27歳の運転手はブカシのカムラン部落イ
リアン通りで強盗がターゲットにしたホンダカリスマを守ろうとして身を張ったのだ。

夕方はタングランのトゥルッナガ地区にあるパサル「ドゥタバンダラ」の貴金属店を5人
の強盗団が襲った。強盗団はやってくると即座に24歳の男性店員にナタとピストルを突
きつけ、1億5千万ルピア相当の商品およそ1キロを奪った。

その3時間後に、中央ジャカルタ市ガンビルのハシムアスアリ通りのメガ銀行に賊が侵入
した。26歳の男が3階の通風孔からビル内に入って2階に降りてきたところを29歳の
職員に見つかり、賊は刃物で斬りつけたため、職員は腕に負傷した。

強盗事件のリストは長いものになる。BCA銀行ATM用現金約30億ルピアから始まっ
て5億ルピアのものまで、プルワカルタでは銃撃と強盗、そしてオジェッ運転手に麻酔を
使った悲惨な事件。[ 続く ]