「アーチェリー選手も射手」(2017年12月19日)

ライター: オボル財団編集者、ヤンワルディ
ソース: 2016年9月10日付けコンパス紙 "Pepanah?"

接頭辞「pe(N)-」名詞は普通、接頭辞「me(N)-D」動詞から派生したことをたいていのひ
とは知っているようだ。たとえばpembunuh-membunuh、peninju-meninju、pencuri-mencuri、
pengajar-mengajarのように。一方、接頭辞「pe-D」名詞はたいていが接頭辞「ber-D」動
詞から来ていることも同様だ。だとえばpeternak-berternak、petani-bertani、petinju-
bertinjuのように。

しかし、接頭辞「pe(N)-」と接頭辞「pe-」の違いを生み出したものは何だったのだろう
か?「pe(N)-」による名詞化は「me(N)-D」を述語動詞とする他動詞能動態文における動
作主体の主語において生じた。ia membunuh ularが「pe(N)-D」名詞化されてpembunuhと
なる。

反対に「pe-」による名詞化は「ber-D」を述語動詞とする自動詞能動態文の動作主体主語
に起こった。ayah bertaniがpetaniとなる。

「pe-」を出現させた別の名詞化は、叙述が行為をなす者でなく受動者あるいはターゲッ
トになっている場合で、たとえば「me(N)-D」他動詞文におけるpetatarやpesuruhという
ようなものだ。

Pak Dede sedang menatar murid baruやAyah menyuruh anak itu。murid baruやanak itu
などの構成要素は受動者であり、それゆえに「pe」名詞化がpetatarやpesuruhを出現させ
る。この名詞カテゴリーに属すものはたいへん少ない。


ここに、「pe-」による名詞形成で受容性がいまだ確信できない語「pepanah」がある。こ
の語形成はスポーツ種目アーチェリーの選手について触れた全国版オンラインメディアか
ら見つけたものだ。「pe-」名詞化における「pepanah」のポジションはどこにあり、また
どうしてこの形成が起こったのだろうか?

上で説明した「pe-」名詞化カテゴリーのほかに、別のものも存在する。接頭辞「pe-」を
直接スポーツ種目名に付けた「pe-」+ Dという形態だ。pebasket, peboling, pebola voli, 
pebulu tangkis, pejudo, petembak, peterjun, 等々である。この接辞法の文法的語義は
「D」の選手(たとえばバドミントン選手)ということだ。ほとんどすべてのスポーツ選手
は「pe-」による名詞化でできている。異なるパターンのものは、karateka, binaragawan, 
lifterなどのように数えるほどしかない。これは言語面から検討するのにたいへん興味を
そそられるものだが、本論のテーマではない。

「pe-D」名詞のパラダイムにおいて、berenang, bergulat, bersilat, berjudoのような
接頭辞「ber-」の付いた能動態動詞に対応するものがあり、またbola voli, basket, 
bulu tangkisなどのようにそのパターンに属さないものもある。

「pepanah」という語に関しては、「ber-」接頭辞動詞に対応するパートナーを持ってい
ない。berpanahに行為をなす語義は存在しないのである。それが、「pepanah」という語
がインドネシア語話者にとってしっくりこないことの理由の一つだ。だがそれだけではな
い。petembakとpeterjunも「ber-D」能動態動詞形式の対応パートナーを持っていないに
もかかわらず、受け入れられている。少なくとも「pepanah」ほどの違和感はないのだ。

じゃあ、問題は何なのか?そのメインの理由は/p/の音が二つ接近した位置に置かれてい
る「pepanah」の形態面にある。そのようなケースではpemrosesやpemrasaranのように相
違化がなされなければならない。たとえ動詞がmemprosesやmemprasaraniであったとして
も、pemprosesやpemprasaranという形ではないのである。同じ音がふたつ接近して出現す
る場合に相違化が起こるのは、インドネシア語で通常の現象だ。言語システムというのは
厳格な協働原理で動いているのだから、「pepanah」という語に対してインドネシア語話
者の直観に不協和音が鳴り響くのである。

最期に、アーチェリー競技の選手を示す「pe+panah」という名詞形成に「pemanah」とい
う形を用いてはどうかとわたしは提案したい。法則外れという問題ではなく、その現象を
支えるシステムが存在しているのだ。多義性問題(たとえば競技選手でない射手との曖昧
さ)は文脈の中で消滅するはずだ。

訳注:
「pe(N)-」「me(N)-」の(N)とは、その後ろに置かれる基語の頭字に従って鼻音変化が起
こるものをその表示で代表させている。
「me(N)-D」「ber-D」のDとは、基語(kata dasar)を意味している。