「没文化人と悲劇の彫像(終)」(2017年12月22日)

< 没文化ビヘイビア >
都市の記念碑像を破壊する過激行為は、インドネシアの民衆とリーダーの一部が没芸術・
没文化のカテゴリーに属していることを示すものだ。しばしば都市モニュメントが民族の
威厳を計る要素に加えられている現代世界で、パガンダラン・プルワカルタ・ブカシおよ
び他の諸都市で繰り広げられたヴァンダリズムは実に耐え難い恥辱を振りまいている。イ
ンドネシア人の一部は芸術心が貧困で、時代の進歩についていけないのだと、あたかも自
己宣伝しているみたいだ。

そのポイントからわれわれは歴史の実態を覗き込む。アメリカ合衆国に自由の女神像を寄
贈したフランス、スペインのサルバドール・ダリ制作の像を見映え良く展示しているシン
ガポール、クアラルンプルに東南アジアの彫像家の作品を集めた展示パークの維持整備を
怠らないマレーシア、世界中からソウルに集めた彫像を展示するオリンピック公園を運営
している韓国。そして街中にたくさんの像を建てて住民の誇りを培い、同時にその精神を
優雅なものにしているマドリッド・オスロ・サンクトペテルブルク・ストックホルム・ド
ハ・ロンドン・ジェッダ等の諸都市はどうだ?

あのような打ち壊す癖を放任して破壊者に法的措置すら執ろうとしないなら、もっと大規
模な破壊に向かうのは間違いあるまい。ただ静止しているだけの彫像は、どのような名目
であろうとアナーキーな抗議を表明するためのターゲット媒体にすることが可能なのであ
る。それゆえに、あらゆる記念碑像が抗議表明の見世物として崩壊していくことになる。
下に述べる事件はその一例だ。

1995年6月半ばにコロンビアのメデリン市広場に建てられてあったフェルナンド・ボ
テロ作のモニュメントが、麻薬シンジケートのバックに付いているコロンビア革命軍によ
ってダイナマイト爆破された。その像は粉々になり、28人以上が死亡し、百人の負傷者
が出た。コロンビア革命軍の意図はコロンビア政府防衛大臣のフェルナンド・ボテロJr.
を威嚇することにあった。そのひとこそ、その像の制作者フェルナンド・ボテロ氏の子息
だったのである。その悲劇を大臣は悔しがり、怒りは天を衝いた。かれは言った。「モニ
ュメントの破壊はコンテキスト不在だ。わたしはこれまでおとなしすぎた。かれらが石を
投げ始めたときに、わたしはハンマーでかれらを打ちのめすべきだったのだ。」

文明化の進んだ国には、あちこちに記念碑像が建てられている。正しく進もうとせずに迷
走している国では、記念碑像が粉砕されている。[ 完 ]