「ジャカルタの危険地帯(後)」(2017年12月27日)

もちろん14年間にさまざまな変化が起こっているから、危険度が著しく低下したところ
もあるし、あまりレベルの変化が見られないところもある。犯罪を誘発していた地理的社
会的条件がたいして変化していなければ、変わり映えはしない可能性が高い。

著者は言う。「それらの危険ポイントは警察も十分に把握しており、対応も取られている。
しかし犯罪の発生は続いている。」

それに応じて国家保安ユニット長は、「犯罪発生というのは、水面上に見えている氷山の
頂点でしかない。頂点が水面上に姿を見せるとき、水面下にはそれを支える巨大な根が存
在している。路上犯罪のほとんどは経済要因によるものだ。問題の根は貧困にあり、大勢
の人間が低レベルの生活クオリティと福祉の中にいる。警察をいくら批判したところで、
その部分を放置していれば問題は片付かない。」と発言した。

ユニット長によれば、市民が行う犯罪のほとんどは捜査結果が必ず出るそうだ。犯罪者も
しくは所属グループはたいてい、分かりやすい特徴を持っている。かれらは普通、同郷出
身者で構成されるグループを組む。そしてそのメンバーは活動地区、つまり縄張りを定め
られる。警察は、どのグループのだれが、どこを縄張りにしているかという情報まで把握
している。メンバーの居住エリアはたいてい犯罪多発地区からあまり離れていないスラム
地区だ。たとえばコカコーラ交差点で起こった犯罪では犯人がプドンケランに住んでいた
り、スネンでの犯罪の場合はタナティンギが居所だったりする。そのようなパターンの故
に警察は、起こった事件の捜査手掛かりに困ることがあまりない。だが、そうやって事件
の犯人が逮捕されたからもう犯罪が起こらない、ということには決してならないのだとユ
ニット長は強調している。

犯人が逮捕されて有罪判決を受け、刑務所に入る。そうして出てきたら真人間になる、と
いうケースは稀なものだ。ムショ入りの経歴を持つメンバーはグループの中で見上げられ
る。かれらがそうなる原因に、貧困や差別といった社会的要因があることを無視できない。
警察が犯人を逮捕しても、結局は犯罪者が循環するだけであり、更にそこへ新参者の参加
が付け加えられる。警察員の中にはその状態を、トムとジェリーの永遠の追いかけっこだ
と自嘲的に語る声もある。

ジャーナリスト協会首都支部長は、ジャカルタの都民生活はプラグマチックで享楽的な様
相が強まる一方だ、とコメントした。「暮らしの中で自らを整え、共通の安全を守るため
に相互に注意し合うという、人間に与えられた使命が忘れ去られている。スブハン氏はジ
ャカルタのあちこちに起こっている犯罪の脅威から身を護るための手引きを著して、その
使命を果たしているのだ。しかしジャカルタを犯罪のない、安全で快適な街にするには、
犯罪発生の根元にからんでいる諸要因を解決する努力が続けられなければならない。」

しかしそれはきわめて遠大な命題である。村落部で貧乏な暮らしをするよりも、ジャカル
タへ出て犯罪で儲けるほうが得だと考える者たちがいる。その実現形態が同郷出身者の犯
罪グループ形成なのである、とティト・カルナヴィアン首都警察国家保安ユニット長は指
摘した。[ 完 ]