「神への祈りが護身術(前)」(2018年01月08日)

数年前に凶悪殺人事件が続発し、捨てられているトランクや段ボール箱の中に死体が見つ
かったり、バラバラにされた人体の一部がゴミ捨て場やゴミだらけの川を流れていたり、
大規模デモがデモ隊と警官隊の衝突になったり、モナスで大暴動が起こるというホウクス
が流れたりして世の中に安全感が希薄になっていたころ首都警察長官が、「弱小犯罪はな
くなるわけがないから、そんなものは普段と変わらないが、ジャカルタは安全だ。」と発
言したことがある。

他の国なら舌禍発言になるような言葉だが、それを問題にするジャカルタ都民がほとんど
いなかったのは、やはり社会の実態がインドネシアは特異なのだということを証明するも
のであるように思われる。

「窃盗やひったくりのような弱小犯罪は、市民がその種の犯罪を行うことを臆さないのだ
から変わりようがない。しかし世間が怖れている暴動掠奪のような社会秩序に大きい影響
をもたらす事件は今のところ探知されていないので、?都民は安心してください。」という
のが首都警察長官の本意であったように思われる。


日本とインドネシアの間にはそのバランス感覚のズレが存在しているので、そのポイント
に気付かないまま、ジャカルタの治安が良いか悪いかという議論をしてみても、得られる
ものはあまりないのではないか、という気がわたしにはする。

道を歩いていると屈強な体躯の青年が寄って来て「お前の携帯電話を渡しな。」と暴力を
ちらつかせて強要されるようなことは、ジャカルタでも日常茶飯事だ。

乗合バスの中でポケットの財布をすられたり、落とし物や忘れ物がすぐに姿を消すのも同
様で、ジャカルタに住む人間は必然的に「世の中はそういうものである」という感覚が養
われることになる。

家族の誰かの友人が家に遊びに来た時でも、その友人が帰った後で家の中の何かがなくな
っているのが判明したりする。これも他人の所有権の尊重という、文明社会のルールが関
わってくる問題のひとつだろう。要するに、そういうことが起こるのだということを前提
にして、われわれはジャカルタで暮らさなければならないということなのだ。


家の中で貴重品をどこに置けばよいか、という問題がある。1970年代にわたしが耳に
した話の中には、枠が鉄パイプになっているベッドの、そのパイプの中に隠す、あるいは
家の中の土間を掘って埋める、といった話があった。しかしライフスタイルの変化でそう
いうことができなくなり、寝室のタンスの引き出しに鍵をかけて置いたり、あるいは金庫
を買ってきてそこに入れるという方法にシフトしている。

あるネットサイトには、こんな隠し場所は泥棒や強盗がすぐに見つけるからやめる方がよ
い、というアドバイスが示されている。特に浴室などは家に遊びに来た外部者までもが監
視の目から逃れる場所だから、紛失のリスクが高いそうだ。
1.ベッドのマットレスの間
2.タンスや家具の引き出しの中
3.浴室のマンディ用品やコスメティクスの間
4.庭に埋める
5.洗濯物かごの底
6.ベッド脇のタンスや引き出し(に置いた宝石箱)の中
7.壁に掛かっている絵画や写真のフレームの裏
[ 続く ]