「パンチャシラの実践例」(2018年01月09日)

2017年7月8日付けコンパス紙への投書"Pancasila dalam Perbuatan"から
拝啓、編集部殿。特に発育期である子供時代にパンチャシラが日常行動の中に具現された
なら、この愛すべき複合国家は永遠に絶えることがないでしょう。

わたしが北ジャカルタ市カランアニャルの国民学校(今の小学校)4年生だったとき、毎
週土曜日はアクティビティの日になっていて、生徒は教室内で料理をしたものです。

級長はクラスの全員を集めて当日に何をするのかを相談します。要は、何の料理を作るの
か、だれが何を持ってくるのか、等々を話し合って分担を決めていました。この話し合い
というのが、意識しないままパンチャシラの第4項目の実践になっていたのです。家が学
校に近い生徒は、料理に使う道具類を持ってくる務めを与えられても、嫌がったりしませ
んでした。

アクティビティの開始前に、生徒は全員で教室内の掃除をします。それはパンチャシラ第
3項目の実践です。そして料理が出来上がり、各人の皿に盛られると、みんなで食べ始め
る前に生徒ひとりひとりの宗教に従って感謝の祈りが捧げられました。この食事前の祈り
こそ、パンチャシラ第1項目の明白な実践にほかなりません。

できた料理の量が多すぎた時、余分な量は学校正門の外で客待ちしているベチャ引きのお
じさんたちに提供されました。生徒たちは、持たざる人たちへの思いやりの気持ちを学ん
だのです。第5項目はそのような形を取りました。


中学校に上がってから、そのときもジャカルタでしたが、ガンビル郡一帯で毎月一回、生
徒たちが勤労奉仕を行いました。それはもちろん、教員、特に体育教員の指導によるもの
でした。勤労奉仕は、学校の構内や校舎でなく街中の道路脇を掃除するのです。?ときには
かなり離れたサバン通り近辺で行ったこともありました。

あるときの勤労奉仕はガンビル駅の向かいにあるイマヌエル教会の表の清掃でした。わた
し自身も、わたしの仲間たちも、ほとんどがムスリムでしたが、その清掃を嫌がる者はい
ませんでした。冗談を言いながら、喜んでそれをみんなが行っていたのです。一体感・連
帯感の擁護を示すシーンがそれでした。

この活動も、箒や塵取りを家から持って出るのを恥ずかしがる生徒に対するひとつの教育
でした。それでもまだ恥ずかしい生徒は古新聞でそれを包んで持ってきましたが。ゴトン
ロヨンは親愛の気持ちを一層強くするのです。

清掃員や他の肉体労働者の生活に対するエンパシーの種がまかれ、育って行きました。地
域の住民たちも労りの心で、冷たいさまざまな飲み物を生徒たちに提供してくれたのです。
[ スカブミ在住、ディディ・マルシディ ]