「ガウル(2)」(2018年01月18日)

この種の社会現象に関する年代記というのは、実際に事実がはるか以前から先行し、現象
に名前が付けられて世間の認知度が高まった年代とは一致しないのが普通だから、歴史を
勉強するときの事件発生年という姿勢で取り組むとおかしなことになりかねない。

インドネシア語ウィキには、バハサプロケムは1970年代ごろからジャカルタで使われ
るようになり、その言葉がバハサプロケムという名称で呼ばれるようになったのが198
0年代末であると書かれている。

一方バハサガウルは1980年代に始まってそれ以前からあったバハサプロケムに取って
代わり、今日に至っている、と説明されている。

わたし自身の体験では、バハサプロケムという名称を認識したのは1980年代終わりご
ろで、そのころわたしの周囲のインドネシア人はみんなバハサプロケムという名称でその
言葉を呼んでいた。バハサガウルという名称を知ったのは1990年代終わりごろであり、
バハサガウルという名称が定着する前にはバハサアーベーゲー(bahasa ABG)という名称が
頻繁に登場していたことを記憶している。バハサアーベーゲー時代には、バハサプロケム
という言葉が既に過去の遺物になりかかっていた。

その流れを見る限り、薄暮の世界で使われていた隠語に「バハサプロケム」という呼称が
1980年代末に与えられて社会的認知度が急上昇し、特に若者たちがその言葉に飛びつ
き、そのうちに自分たちで新しい言葉を創造し始め、社会的にその新しいブームは「バハ
サアーベーゲー」という名称で呼ばれたが、その動きが完成度を高めるに伴って「バハサ
ガウル」という名称で定着して今日に至っている、ということが言えそうだ。


ではまず、バハサプロケムなるものから見て行こう。
バハサプロケムは、金目のものを手に入れようと鵜の目鷹の目で人通り繁華な場所をうろ
ついているやくざ者やストリートチルドレンの間で使われる言葉だった。特殊な集団が世
間の堅気の衆にわからない言葉で、周囲のひとの耳を気にせずに会話するために作られた
言葉という性格が、その現象の出現の核になっている。

インドネシア語の地回りチンピラややくざ者を意味するプレマン(preman)という言葉から
プロケムという単語が作られた。このバハサプロケム時代はジャカルタ原住民の言語であ
るブタウィ語(bahasa Betawi)が多用され、更に標準インドネシア語もデフォルメされて
使われていた。もともとのブタウィ社会では、ムラユ語系のブタウィ語と福建語を主体に
した華人言語が市場を中心にした日常生活によく使われていたから、おのずとブタウィ語
や華語がバハサプロケムに取り込まれている。

バハサプロケムの造語原理のひとつに、標準単語に挿入辞を加える方式がある。たとえば
-ok-という挿入辞が父親を意味するbapakの最初の三文字bapに使われて、b-ok-apとなり、
この語は今でも父親/おやじを意味するbokapという語でバハサガウルの語彙の一つにな
っている。

ではpremanに-ok-を使ったらどうなるだろうか?この場合は最初の四文字premが発音のす
わりがよいのでそのように短縮された。そこに-ok-を挿入するとpr-ok-emとなり、こうし
てprokemが出来上がる。
[ 続く ]