「バハサブタウィは健在(2)」(2018年02月06日)

排他的エリート集団を結成しようとする傾向のゆえに、ヤッピーも独特の言語を作り出す。
インドネシア語の中に外国語を散りばめたバハサガドガドがそれだ。

Gile cing, meetingnya lama banget, boss sampai nggak ngasih kita-kita break. と
いうバハサガドガドをかれらが使うのも、自然の理なのである。

ガドガド性は明白だ。Gile cing(特にcingの語)は一体どこから出てきたのかわからな
い独特の表現だ。meeting, boss, breakは英語から、lama, sampai, kitaはインドネシア
語で、gile, banget, nggak, ngasihはジャカルタ弁だ。

ヤッピーが正しい標準インドネシア語でその文章を口にするなら、違和感は免れないだろ
う。Sungguh gila, rapat itu berlangsung lama sekali, peminpin rapat sampai tidak 
memberi kami istirahat!


若者層のモダンジャカルタ弁はもっとすさまじい。ジャカルタのある高校教師が、現代ヤ
ングたちの会話を理解するのに頭を痛めていることを告白している。

"Hendak pergi ke mana?"と仲間に質問するときに、"Mane lu?"の二語だけ。そしてその
仲間は"Biasa, JJS. Ikutan nggak lu?"と答える。すると質問者はこう応じる。"Oga ah, 
gue mo ngetrek 'ntar malem."

解説すると;
JJS = jalan-jalan sore
mo = mau
ngetrek = balap sepeda motor

こうしてその教師は頭痛で目を7度回すことになるのだ。若者たちの日常会話がそれだ。
信じられないなら、かれらの会話に耳を澄ませてみればいい。かれらのコミュニケーショ
ンはそんな様子をしているのだ。要はOK punya deh.

< 認められたい >
若者たち、ヤッピー、あるいは特定集団に、モダンジャカルタ弁を使わなければ仲間の間
で自分が認めてもらえないことへの不安があるのだろう。ジャカルタ都民のひとりとなっ
たマナド・バタッ・スンダ・ジャワ・フローレス・イリアンなどの出身者たちもジャカル
タ弁を使うように努める。エリートグループに所属するひとりとして受け入れられたいの
がその理由だ。そうしなければ、時代遅れだの何だのという烙印を捺されるのだから。

仕方なくということだろうか?そうとも言える。しかし専門家の中には、モダンであれ在
来型であれ、ジャカルタ弁は口語としてコミュニケーション性の高い言語である点を主な
理由と見ている人がたくさんいる。

インドネシア語学者ハリムルティ・クリダラクサナ教授はジャカルタ弁のコミュニケーシ
ョン性について、上下関係による使い分けがない、形式ばらない、話し言葉としての適性
が高いといった特徴を見出している。そうは言っても、unggah-ungguhと呼ばれてジャワ
語の特徴をなしている、言語使用に話者の階層付けを持ち込むようなことをしていないの
は、インドネシア語だって同じなのだ。

それに関して教授は、インドネシア語を話すときに話者は形式的・非柔軟性・不自由・決
まりが多すぎるなどの感触を抱いている、と説く。ジャカルタ弁はインドネシア語を話す
よりもはるかに自由度が高いのである。[ 続く ]