「例外だらけの原則」(2018年02月07日)

ライター: 文司、デポッ在住、アヤトラ・ハエディ
ソース: 2003年5月10日付けコンパス紙 "Mempercayai memeriksa"

インドネシア語の語形成に関する古い定理によれば、語頭が/p/音になっている単語に接
頭辞me(m)-が付くと、/p/音は消滅するとなっている。その理論を証明する例には事欠か
ない。たとえばpukul-memukul, pecat-memecat, paku-memaku, parkir-memarkir, pikir-
memikir。それらの例を見るなら、pukul, pecat, pakuなどインドネシアアスリの固有単
語だけでなく、外国からの借用語にも適用されていることがわかる。parkirはオランダ語
parkeren、pikirはアラブ語fikirに由来しているのだ。

しかし実態は、その法則が語頭に/p/を持つすべての単語に完璧に適用されているわけで
ないことを示している。その例も数多い。percaya-mempercaya(+i,+kan), pesona-mempe-
sona, perkosa-memperkosa, praktik/praktek-mempraktikkan/mempraktekkan, prediksi-
mempredksi。よく観察したところ、それが起こるのは、三音節の語(percaya, pesona, 
perkosa)、もしくは外国由来の単語(praktik=英語practic/オランダ語praktijk, predik-
si=英語prediction)であるという国語学者の結論があった。

ということは、語頭が/p/の語形成にはふたつの法則が存在しているという意味になる/p/
音の消滅という第一法則は二音節の語に適用され、語頭の/p/音が維持されるという第二
法則は三音節以上のインドネシアアスリ単語と外国から入って来た単語に適用されるとい
うことになる。

ところが実態は、単語の由来が何であれ、また音節数がいくつであれ、その両法則がそれ
ぞれのケースに完璧に適用されているわけでもないのだ。アスリインドネシア語とされて
いるperintahの語形成では、memperintahでなくmemerintahという形になる。二音節のpu-
nyaという単語は反対に、memunyaiでなくmempunyaiとなっている。同じように、periksa
もmemperiksaでなくmemeriksaになっているのである。

その実態において、形の選択に迷いが生じていることを示す例が見つかる。perkaraから
はmemperkarakanとmemerkarakanのふたつの形が作られ、prioritasはmemprioritaskanと
memerioritaskanのふたつを生み出しているし、proklamasiにはmemproklamasikanとmeme-
roklamasikanのふたつが存在している。この問題については、もともとあった音に即した
綴りを維持しようとする意志が働いている一方、インドネシア語の音韻法則に従おうとす
る意図が存在していることも感じ取れる。どういうことかと言うと、その語形成には第一
法則である/p/の消滅がなされたとき、/m/と/r/の子音の連続を発音しやすくするための
/e/の音挿入が起こっているからだ。

実際、この種の音挿入の発生はきわめて自然なことなのである。たとえば、インドネシア
にある諸語には、単音節語を二音節にしようとする傾向が存在している。masやbomといっ
た子音+母音+子音で形成された単語の場合、emasや(meng)ebomという形になるのが普通
だ。klasやglasのような単音節語が二重子音で始まるものは、kelasやgelasの形になって
出現する。更に接辞による語形成がなされるときは、挿入音が入ったものが使われる。
そのような内容は初歩のインドネシア語学習者に多少とも困惑をもたらすことになる。ど
うして違う法則を覚えさせようとするのか?どうして学習者を選択の迷いの中に連れ込も
うとするのか?

接辞形成語を能動態と受動態で比較対比させたなら、その問題をどう克服するべきかにつ
いての鍵が見つかる。たとえばpukulという基語からdipukulとmemukulという語が作られ
る。padamという語からはdipadamkanとmemadamkan、protesからはdiprotesとmemerotes
(memprotesは別にして)。基語語頭の/p/音は接頭辞me(m)-につながるときに消滅すると
いう法則をどうして一般化しないのか?そうすればmemfitnahという形は起こり得なくな
る。なぜならfitnahという語はジャワ語やスンダ語に入ってpitnahやpitenahに変化して
いるため、語形成はmemitnahにしかならないのだ。

あるときにはmemerintahやmemeriksaを言ったり書いたりするよう求められ、別の時には
mempercayaiやmemperkosaを言ったり書いたりしないために批判されて当惑し、お手上げ
になるようなことはもうなくしてよいはずだ。