「ブタウィ語を知ろう(3)」(2018年02月13日)

E.接尾辞-i, -kanが-inに替えられる。
インドネシア語 tambahi, bukakan, belikan
在来ジャカルタ弁 tambain, bukain, beliin

F.語頭の鼻音化nge-が接頭辞me-の代わりに使われる。
インドネシア語 mengajak, menaruh, menjual
在来ジャカルタ弁 ngajak, naro, ngejual

G.lebih+形容詞が形容詞+接尾辞anに替えられる。
インドネシア語 lebih tinggi, lebih besar, lebih murah
在来ジャカルタ弁 tinggian, gedean, murahan

H.バハサブタウィ独自の単語
1.終助詞に相当するもの。インドネシア語の対応語が見当たらない。
在来ジャカルタ弁 deh, kek, dong, sih

2.人称代名詞。
一人称単数 gue, ane, aye 一人称複数 kite, kita
二人称単数 elu, situ, ente 二人称複数 elu pade
三人称単数 die 三人称複数 die pade

3.スンダ語の影響を受けたmah インドネシア語の対応語が見当たらない。

4.華語の影響を受けた数字表現
gotun, captun, jigo, seceng

あらゆる言語と同様、ジャカルタ弁の内容を簡潔に描き出すことは難しいので、決して容
易にマスターできるものでもない。敢えて特徴を示すなら、在来ジャカルタ弁は昔からの
定理を保持しているとはいえ、現代社会にあるさまざまな要素の影響から無縁であること
もありえない。一方、モダンジャカルタ弁はバハサブタウィとインドネシア語そして英語
が混ぜ込まれる傾向を持っている。たとえば、こんな文章だ。
Kalau hasil meeting sudah OK, as soon as possible harus you followup-in!

インドネシア語の文型に英語とインドネシア語とジャカルタ弁が混ぜ込まれたバハサガド
ガドの特徴が明白だ。今どきのご時勢、boring, lunch, sorry, on time, one stop shop-
ping, laundry, sport centerなどの英語は誰もが知っている。植民地時代はオランダ語
が権威を持っていたが、今どきは英語ペラペラが憧れの的だ。

外国語を使うことで世間は教養と広い視野、そして洋行帰りといった威厳をその話者から
感じ取ってくれる。言語はアイデンティティシンボルなのである。精神分析学の開祖ジー
クムント・フロイドは「言語のない人間は人間と呼べない」と述べているものの、この外
国語ガドガド傾向は、それが究極的にインドネシア語を破壊するのであれば、問題は深刻
であると見なさなければならない。

言語学者でインドネシア大学教授のハリムルティ・クリダラクサナは外国語を好む精神傾
向について、それは他人を見下そうとする言語スノビズムであると評している。その俗物
的言語表現を用いて、ひとは自己の優位性を示したいのだ。「人間だから、それも自然だ
ろう。しかし、気を抜いてはいけない。スノビズム外国語スタイルはインドネシア民族と
してのアイデンティティに危険をもたらすのだから。」
[ 続く ]