「ブタウィ語を知ろう(5)」(2018年02月15日)

1995年のコンパス紙記事は上のような内容だった。元々はムラユ語の一方言と見なさ
れているこのブタウィ語だが、ブタウィ語自身もいくつかの種類に?区分されている。大別
して中央ブタウィ語(Betawi Tengah)と周辺ブタウィ語(Betawi Pinggiran, Betawi Ora)
にまとめるのが一般的だ。バハサガウルに流れ込んでいるブタウィ語は、中央ブタウィ語
がメインストリームをなしている。

それはやはり、中央に位置する本家本元の権威がその取捨選択に関係しているということ
なのだろう。周辺部にいる傍流ともなるとあらゆる自然現象までもがいなかっぺ臭さに覆
われてしまう、という印象を抱く人間が洋の東西を問わずあまりにも多いにちがいない。
その両者の違いは、たとえば単語末尾の/a/が中央ブタウィ語では強母音の/e/に変えられ
るのに対して、周辺ブタウィ語では/a/が維持されるばかりか、ハムザ音が付加される。
apaがngapeとなるか、ngapa'となるかという違いだ。

中央ブタウィ語はムラユ語の特徴を堅持しているが、周辺ブタウィ語はスンダ語の影響を
強く受け、またジャワ語の影響も混じっている。というのは、地理的にジャカルタの周辺
部はスンダ文化圏に接しているのであり、文化的な相互干渉が起こるのが当然だったから
だ。歴史的にはタルマヌガラ王国やパスンダン王国の民衆とブタウィの辺縁部住民の接触
が周辺ブタウィ語の形成を導いてきたと言うことができるだろう。

加えてマタラム王国軍のバタヴィア出兵のとき、帰郷せずに居残ったジャワ人兵士も少な
からずいて、スンダ語ほどではないにせよ、ジャワ語の影響も混じっているのである。

周辺ブタウィ語の異称であるバハサブタウィオラという表現は、本流社会が傍流社会に向
ける見下し視線を反映しているようにわたしには思える。「ora」という語はジャワ語の
否定詞から採られたものだという説が一般的だ。つまりジャワ語の影響が混じっている珍
妙なブタウィ語であるということを強調した表現だったのではあるまいか。隣人のスンダ
にはまだ親しみが持てても、当時のブタウィ人にとってジャワにはあまりにも遠い心的距
離があったということだったのだろうか?

わたしがジャカルタに暮らしはじめたころ、わたしの知っているブタウィ人たちから「ジ
ャワへ行く」という表現をよく耳にした。文化面での差異にまだ暗かったわたしは、「え
っ?ここは同じジャワ(島)じゃないか。」とそれを奇異に感じたものだ。人種的・文化
的・言語的に異なっているジャワをブタウィ人もスンダ人も、自分たちとは異なる連中だ
という意識で見なし、相対していたのは疑いもない。

語尾に/e/を使う中央ブタウィ語は現象的にクニガン〜マンパン〜パサルミング〜ジャガ
カルサというラインに並び、それと対面するパサルボのラインから東側が周辺ブタウィ語
の領域になっていた。とはいえ、住民の移動に伴って、その種のディコトミーは曖昧にな
って行くのが道理であり、その理論も形骸化は免れない。[ 続く ]