「ブタウィ語を知ろう(6)」(2018年02月19日)

マレーシア語の顕著な特徴のひとつに、語尾の/a/が弱母音で発音されるというものがあ
る。インドネシア語学習者を困惑させている/e/の強母音「エ」と弱母音「曖昧なウ」の
音の後者の音だ。この現象がブタウィ語にもあったということが、1990年代にCDヘ
ンス(Grijns)が行ったサーベイの中で発見されている。

地域的には、タナアバン〜ガンビル〜メンテンにかけてのエリアで見つかったものだが、
この習慣は今や絶滅したようだ。ブタウィ語の変遷に関連して集められた情報の中に、ブ
タウィ語そのものの退潮を説くものがあった。

たとえば、小学校での教育言語が全国一律にインドネシア語とされた国民皆教育制度初期
の時代に、教室内でブタウィ語を使った生徒が先生から注意を受けた。子供は家に帰って
親にその話をする。親は思い余って、家庭内の生活言語をインドネシア語に替えた。全国
で似たようなことが起こったのは、想像に余りあるだろう。そこに、生活コミュニティが
地元言語に対して持っている姿勢が浮き彫りにされてくる。

コミュニティが地元言語を強固な生活言語としているとき、その一家のひとりひとりは家
の外での活動で必ず地元言語に直面することになる。だから家庭内言語を何にしようとも、
かれらは必然的に多重言語者になっていくのである。

ところが、地域コミュニティが既に他の言語を主流にしたり、あるいは多重言語社会にな
っていて伝統的な地元言語もそのワンノブゼムになっていたりすると、伝統的地元言語は
衰退の道を歩み始める。どうやらそれがブタウィ語に起こったようだ。

タナアバン地区は17世紀ごろからバタヴィアのビジネスセンターのひとつとして発展し
た。大勢の外来者がその地区に流れ込んでくる。人口的にマジョリティを占めることので
きなかったブタウィ人は、結果的にワンノブゼムの立場を甘受することになった。

タナアバン地区に住むブタウィ人が生活言語にしていたバハサブタウィムラユを今でも使
っているのは、幅広い生活コミュニティを持たず、教育レベルも低い、老齢のブタウィ人
に限られている。一般社会生活からその言語は既に姿を消しているのである。その反対に、
バハサガウルに滔々と浸透している中央ブタウィ語のほうが、ブタウィ人のみならず異種
族のひとびとの間にも、社会生活の中で使用される言語として広まっている。


中央ブタウィ語のセンターのひとつは南ジャカルタ市マンパンプラパタン地区だ。このエ
リアにも、スンダやジャワをはじめ、諸地方から外来者が移り住んできた。ユニークなこ
とに、この地域にやってきた外来種族はたいてい、地元の生活言語に自分を適応させるよ
うになる。その結果、中央ブタウィ語は諸地方言語と溶け合い、柔軟で自由な表現力を持
つ言語に進化して行った。バハサガウルの本質がそれだ。

バハサブタウィのバリエーションはもうひとつある。プラウスリブのパンガン島で使われ
ていたバハサムラユティンギ(Melayu Tinggi)である。マレー半島で使われているムラユ
語を切り取ってきて、そこに移植した観のあるそのムラユティンギは、タナアバンにあっ
たブタウィムラユともまた異なっている。[ 続く ]