「ジャカルタ地震(前)」(2018年02月22日)

ライター: 地学気候気象庁地震情報津波早期警報部長、ダルヨノ
ソース: 2018年1月30日付けコンパス紙 "Gempa Jakarta"

1918年にアルトゥール・ウィヒマンがインドネシア地震史カタログを集成しなかった
なら、過去にジャカルタが地震で潰滅したことがあるのをわれわれは知らなかったかもし
れない。当時バタヴィアという名前だったジャカルタが激しい地震に襲われたのは、16
99年1月5日の夜だった。それまで一度も起こったことがなく、それゆえ夢想だにしな
かった大震災にバタヴィアが襲われたのだ。

ウィラード A ハンナがその著作「ジャカルタ物語」の中で、そのときの様子をもっと
詳しく書いている。東洋のクイーンとあだ名されたバタヴィアのイメージは、その地震の
後、大きく破壊された町のありさまと共に失墜してしまった。大地を揺さぶった地震と同
時に火山が噴火し、火山灰が分厚く積もったことで、住民の恐怖はいや増しに高まった。
町中のいたるところに地震の爪痕が刻み込まれ、上水供給システムがズタズタにされたこ
とから、住民の生活は大混乱をきたした。

バタヴィアが大規模地震に襲われたのは、その一度だけではない。ウィヒマンの記録によ
れば、1780年1月22日にバタヴィアは再度破壊的な地震に見舞われている。176
5年に作られたバタヴィア初の天文台であるモール天文台(Observatorium Mohr)がその地
震で倒壊したという記録をいくつかのソースに見ることができる。

前年なことに、その二度の震災の記録を記憶にとどめているひとがジャカルタにはあまり
にも少ない。それどころか、インドネシアの地震対策に関する文献の中にも、その震災は
ほとんど触れられていないのだ。

ジャカルタは既に二世紀以上の間、破壊的な大震災を蒙っていない。それはつまり、ジャ
カルタ住民がほぼ四世代に渡って、過去に起こったすさまじい地震を体験していないこと
を意味しており、ジャカルタは地震のない安全地帯であるという思い込みを住民に植え付
ける結果をもたらしているように見える。ましてや、ジャカルタ地区に地震源があるとい
うオーセンティックな証明がいまだかつてなされたことがないのだから。

ジャカルタが地震安全地帯であるという認識は、間違っていたことが判明した。2018
年1月23日にM6.1の地震がジャカルタを襲った。だれもが驚き、ジャカルタが安全
地帯でないことを悟った。そのときの震源地はジャカルタから150キロ超離れたインド
洋の海底だったことを注記しておきたい。[ 続く ]