「近くて遠いマレーシア(後)」(2018年02月27日)

< 昔と今の違い >
インドネシアとマレーシアの両国は何百年もの間、ムラユという名の王国領内に併存して
きたが、1812年のロンドン条約で両国は地政学的に分離された。今のマレーシアとい
う国が構築されて行く中で、ブギス・ジャワ・アチェ・ミナンなどの諸種族はムラユ半島
に住民社会が形成される際の重要な役割を果たしてきた。何人ものスルタンや王国高官は
インドネシアの出身者だ。同様にインドネシア社会もムラユ人ディアスポラの影響から
縁でなく、人種的心理的影響は歴史の中に滔々と流れ込んでいる。

1980年代以前と以後で、両国の国民関係には違いがある。両国の形成史の主軸は、人
種的文化的関係が両国間の親密な関係を作る際の主流をなした。ところが1980年代以
後では、両国の青年層がそれまで主軸をなしていた要素に意を払わなくなったのである。

それどころか、両国の経済発展がピッチの差を見せるようになったことが、心理的な距離
を与える結果をもたらした。マレーシアの青年たちは一般にインドネシアについて、家庭
プンバントゥ・運転手・店員・農園作業者の姿で認知するだけであり、インドンと呼ばれ
る騒動火付け人という認識を持っているだけだ。反対に特定地域を除くインドネシアの青
年は一般的に、マレーシアはインドネシアの文化産物を自国のものだと偽って利用する連
中だと見ている。


世代の違い、見解の相違が生んだネガティブな理解、出稼ぎ者問題、ジオポリテイクス地
図、人間性と文化の価値観に対する評価、文化遺産経営などが別々のバージョンで両国共
通の問題になっているのだ。自己アイデンティティ・ローカル性・民族性などのコンセプ
トや社会経済レベルの違いなどが文化経営の振舞い・姿勢・理解の差を生んでいる。それ
らの違いが往々にして両民族間の緊張を煽り、煙害・出稼ぎ者・国境線・イミグレなど他
の問題に飛び火して行くのである。

紛糾してしまった関係の糸をほぐすために、両国の将来の関係を一層和合させるための文
化戦略が必要とされている。両国間の隠れた緊張を継続させるよりも、両国のシナジーを
合体させるほうが、はるかに有益なのである。

共通の文化遺産はユネスコの指定を得るために共同申請することもできる。リアウ州・リ
アウ島嶼州・メダンのムラユ社会とマレーシアが示しているたいへん親密な関係をテレビ
の共同プログラムにして両国で放送することもできる。また共通の歴史を地元教材として
両国の学校カリキュラムの中で教えたり、両国専門家が学術対話の中に採り上げることも
できる。そのような文化戦略は諸方面からの注目と強化の対象となりうるものなのである。
政府が2008〜2011年に計画した両国国民間の接触の中でのEPGによる文化戦略
構築が、特に今現在から将来に渡って顕著な成果を生み出すことを期待してやまない。障
壁ももみ殻の火もない両国民間の優れた相互認識と相互理解は国際評価を高めることにな
るのである。[ 完 ]