「メステルコルネリス(2)」(2018年03月08日) 当時、バタヴィア城市内外の建設にかかりきりのVOCにとって、まだ手の着けられない ジャティヌガラを同じキリスト教徒の首長が治めるのは願ってもないことだったにちがい ない。そのせいだろうか、コルネリス・ファン・スネン氏はオランダ人からメステル (Meester)の称号を賜った。メステルは英語のマスターに該当する。 一説によれば、コルネリス・ファン・スネン氏はポルトガル人がアジア経営のためにアジ ア女性との間に大量にもうけたメスティーソの子孫であり、かれはVOCがバンダ島から 奴隷をバタヴィアに連れて来るさいに同行してきたそうだ。かれはバタヴィアで牧師と宗 教教育の仕事に就きたいと希望していたにもかかわらず、バタヴィアのオランダ人社会は 純血白人でない牧師を拒否したことから、かれはジャティヌガラのプリブミ社会で自分が 抱いている生き甲斐を実現させるしか道が残されていなかったという話もある。 バタヴィア城市とメステルコルネリスを結ぶ幹線道路がVOCによって1678年に建設 された。これはバタヴィア城市の城壁の外に建てられたジャカトラ要塞からメステルコル ネリスに至る南北の直線道路であり、道路は更にまっすぐ北上してアンチョル海岸部まで 伸びている。バタヴィア城市からジャカトラ要塞へは現在のジャヤカルタ通り(Jl Jaya- karta)が通じており、城市内住民はそこを通ってアンチョル海岸へも、メステルコルネリ スへも容易に行けるようになった。その道路のおかげで、メステルコルネリス地区も目覚 ましい繁栄を謳歌するようになる。 この道路は北からまっすぐ南下してジャティヌガラのコイノニア(Koinonia)教会の右を通 り、更に南下してチャワン(Cawang)からチリリタン(Cililitan)〜クラマッジャティ(Kra- matjati)を経由しボゴールへと向かう。 いまコイノニア教会はその左側をも幹線道路ではさまれて、そこにできた三叉路に直面し ており、北から下って来た運転者はその光景がもたらす異様な印象を避けることができな い。 その地形が作られたのは、ダンデルスが建設させたジャワ島縦断大郵便道路(De Groote Postweg)大工事のせいだという記述があるのだが、大郵便道路はボゴール〜プンチャッ〜 チアンジュル〜チマヒ〜バンドン〜プリアガンからチレボンへと抜けるルートになってい て、このメステルからブカシ〜チカラン〜カラワン〜チカンペッ〜スバン〜インドラマユ を通ってチレボンへ向かうルートも大郵便道路の一部として1800年代初期に作られた のかどうかが、わたしにはまだよくわかっていない。[ 続く ]