「マトラマン(1)」(2018年03月12日) 1678年にVOCが建設したバタヴィア城市とメステルコルネリスを結ぶ幹線道路に沿 って、東ジャカルタ市ジャティヌガラ郡の北に位置しているのが東ジャカルタ市マトラマ ン郡だ。 幹線道路はマトラマンラヤ通り(Jl Matraman Raya)という名称でマトラマン郡を縦断して おり、道路の東側はパルムリアム(Pal Meriam)町、西側はクボンマンギス(Kebon Manggis) 町になっている。 インドネシアにパルという言葉のつく地名がよく登場するのだが、パルというのはオラン ダ語のパアル(paal)に由来しており、パアルというのは境界を示す杭を意味していた。ま た日本の一里塚のような距離標として街道沿いに設けられたこともある。この道標として のパアルは「プンチャッ越えの道」http://indojoho.ciao.jp/archives/library021.html の大郵便道路に関する記述の中に説明が出てくるので、ご参照いただければ幸いです。 ジャカルタ一円にも、パルメラ、パルプティ、パルムリアムなどという地名が存在し、そ のパルムリアムが町名となったのがマトラマン郡パルムリアム町だ。ムリアムというのは 大砲のことで、その言葉はポルトガル人砲手が火薬に点火する際に頻繁に口にした聖母マ リアの名に由来しているという説がある。 ヌサンタラの住民はポルトガル人砲手が口にする「マリア」という言葉がその火を吐く道 具のことだと思ったらしい。マリアがムリアムになったのは、マリアの次に発音される単 語の頭が「m」で始まっていたためではないだろうか。 パルムリアム町の名称に関しては、まずジャティヌガラが軍事都市であったこと、ジャワ に進攻したイギリス軍とフランス〜オランダ連合軍との会戦がマトラマンからメステルコ ルネリスにかけての地域で起こったこと、などの事実に照らして、どうやらマトラマンラ ヤ通り沿いに置かれた大砲がパアルの役割に使われていたことが推測され、ジャカルタ郷 土史家のザエヌディン氏もその説を主張している。 ヤン・ピーテルスゾーン・クーン(Jan Pieterszoon Coen)VOC総督が1619年に行っ たジャヤカルタ征服の十年ほど後、イスラムマタラム王国のスルタン・アグンによる出兵 が行われるまで、マトラマン地区は未開のジャングルだった。 1629年のマタラム軍第二次遠征で、マタラム軍がその地に本陣を築いたことからジャ ングルが開かれて、人間が住み生活を営むことのできる場所となった。そのために「マタ ラマン(Mataraman)」と名付けられた地名がマトラマン(Matraman)」に転訛したというの が定説になっている。[ 続く ]