「マトラマン(終)」(2018年03月14日)

現在のパルムリアム町トゥガラン(Tegalan)通りに設けられたフランス〜オランダ連合軍
陣地を陥落させたイギリス軍は、更にパルムリアムにある次の陣地をも奪取したが、メス
テルコルネリス要塞は守りが固く、容易なことでは破れそうにない。

総攻撃が繰り返され、要塞の防御態勢が少しずつ衰えを見せるようになった。そして運命
の日が8月26日にやってきた。深夜1時に開始された総攻撃で、フランス〜オランダ連
合軍はついに力尽き、フランス軍砲兵少佐が火薬庫で自爆したため要塞守備隊全軍の抗戦
意欲が喪失してしまったにちがいない。

メステルコルネリスに拠っていたフランス〜オランダ連合軍は更に中部東部ジャワへ落ち
延びる動きを見せた。それを追撃するイギリス軍部隊との間に激しい戦闘が展開される。
今のジャティヌガラの町(ジャティヌガラ郡バリメステル(Balimester)町)の東側はラワ
ブガ(Rawa Bunga)町になっているが、元々そこの地名はラワバンケ(Rawa Bangkai)と呼ば
れていた。バンケ(死骸の意味)という言葉が町名に付けられては、住民は平常心でいら
れない。だから町名をつける際に別の言葉に置き換えられたという由来を、この町は持っ
ている。

ではいったいどうして「死骸」などという不気味な言葉がそこの地名になったのかと言う
と、実は逃げるフランス〜オランダ連合軍と追撃するイギリス軍との間に、そこの湿地で
すさまじい戦闘が行われたのだそうだ。両軍に多数の死者が出て、戦いが終わったあと、
湿地には死体がごろごろ転がっていたらしい。そのため誰言うとなく、ラワバンケという
言葉がそこの地名になった。

一説では、1740年10月にバタヴィアで起こった華人大虐殺事件のときに、そこが大
殺戮の舞台となって華人の死骸がごろごろしていたのがその地名の由来だと説明されてい
るのだが、大殺戮の中心舞台となったグロドッからメステルコルネリスにたくさん華人が
移り住んだのがその華人大虐殺事件の結果だと言われていることを思えば、大虐殺事件発
生の前に広い湿地帯を死骸で埋めるほど多数の華人が本当にそのエリアに住んでいたのか
どうか、甚だ疑問視せざるを得ない。

その華人大虐殺事件を一部のひとは紅渓(福建読みでang khe「アンケ」)事件と呼んでい
る。その呼称はアンケ川(Kali Angke)の水が虐殺された華人の死骸で真っ赤に染まったこ
とに由来しているのだという説が唱えられ、インドネシア人の中にもアンケという地名が
その福建語に由来していると信じているひとが多数見受けられるのだが、その華人大虐殺
事件に関連付けてさまざまな説話があちこちに作られ、その事件を宣伝に使おうとする何
らかの謀略がからんでいるような雰囲気が感じられてしかたない。事実のニュートラルな
把握にそぐわないストーリーが流布していれば、なぜそんな物語が作られるのかというこ
とに誰しも思いを致すのではなかろうか?[ 完 ]