「トランスジャワとブルブスの不況(1)」(2018年03月14日)

わたしがジャカルタとバリ島の間を自分の車で十数回往復していたころ、トランスジャワ
自動車専用道構想は雲の上の話でしかなかった。当時ジャワ島に存在していたのは都内か
らチコポ(Cikopo)までのチカンペッ自動車道、チルボン(Cirebon)の町を迂回してパリマ
ナン(Palimanan)とカンチ(Kanci)を結ぶパリカンチ(Palikanci)自動車道、スマラン(Sema-
rang)市南部のクラピヤッ(Krapyak)から入って途中でドゥマッ(Demak)方面とソロ(Solo)
方面に分岐するバイパス型のスマラン自動車道、そしてスラバヤを中心にしてグルシッ
(Gresik)とグンポル(Gempol)を結ぶ自動車道が存在しているだけだった。

スマラン以東のジャワ島北岸街道の道路破損がはなはだしいことから、わたしはそれを嫌
ってjalur tengah と呼ばれているスマラン〜ソロ〜スラゲン(Sragen)〜ガウィ(Ngawi)〜
チャルバン(Caruban)〜ガンジュッ(Nganjuk)〜モジョクルト(Mojokerto)〜グンポル〜パ
スルアン(Pasuruan)というルートを頻繁に取った。ガンジュッからクディリ(Kediri)を抜
けてパレ(Pare)からマラン(Malang)そしてパスルアンへと抜けたこともあるし、クディリ
〜トゥルンガグン(Tulungagung)〜クパンジェン(Kepanjen)〜ルマジャン(Lumajang)〜ジ
ュンブル(Jember)〜バニュワギ(Banyuwangi)というjalur selatan を通ったこともある。

jalur selatanはほとんど未開発のままの自然があふれるほど残されていて、昔ながらの
ジャワの情趣をたっぷりと味あわせてくれた。ジャワ島最高峰スムル(Semeru)山の後ろ姿
が示す壮観を眺めることができたのは、ふたつとない思い出になっている。

しかしこの南街道は山がちの起伏と曲がりくねったあまり広くない道路が延々と続くルー
トであり、交通量は少ないが時間はそれほど短縮できないため、結局中部街道が愛用ルー
トになってしまったということだ。

ところが今や、かつてわたしが徘徊したそれらのルートの多くは既に自動車専用道が通る
ようになり、交通の便は格段に上昇している。ただ、また昔のように車を駆る機会がわた
しに再来したなら、はたしてそんな自動車道を通る気になるかどうか?かつて手にした昔
の名残を求めて、一般道をえっちらと走ることになるような気がしてならない。


2015年6月、チカンペッ自動車道がチルボン市東郊のパリマナンまで延ばされてパリ
カンチ自動車道とつながり、チカンペッ自動車道東端のチコポからパリマナンまでの区間
なので、その道路はチパリ(Cipali)自動車道と一般に呼ばれている。

更に先にできていたカンチ〜プジャガン(Pejagan)自動車道がブルブス(Brebes)まで延長
されたことで、ジャカルタから270キロをノンストップで走り続けることが可能になっ
た。

昔わたしが走っていたその区間は国道1号線別名ジャワ島北岸街道(Pantura)の一部であ
り、街道の両脇には飲食店や土産物店があちこちに営業していた。ところが車の流れがチ
パリ自動車道にシフトしてしまったことから、街道脇の店舗はそれまでの繁栄が急速にし
ぼんでいった。反対に自動車道のおかげで首都圏から行きやすくなった観光地は、観光客
があふれんばかりに訪れるようになってうれしい悲鳴をあげているところもある。
[ 続く ]