「トランスジャワとブルブスの不況(終)」(2018年03月16日) 2016年にプジャガン〜東ブルブス間の自動車道が開通するまで、国道1号線ロサラン (Losarang)〜ブルブス間はジャカルタ一円からジャワ島東部に向かう自動車が必ず通過す る大動脈だった。その通行者を立ち寄らせようとして、街道両脇は地元中小事業主たちの 狩場になっていたわけだ。 インドラマユ(Indramayu)からチルボン南を通ってブルブスに至るその区間には、マンゴ やらランブタン、そして地元料理の食堂や屋台、トラック運転手の薄利を支える廉価飯屋 などがにぎやかに営業していた。ブルブスの塩漬け卵屋台もそのひとつだ。 もちろんブルブスの塩漬け卵屋台集団は出店屋台の集合地区でしかなく、ブルブスの町中 で塩漬け卵事業者たちが事業を行っていたのである。ところがチパリのおかげで、かれら の間から櫛の歯を引くように廃業者が出るようになった。三十年間続いてきたブルブスの 地元産業がいま、存亡の危機に立たされている。ブルブス県タンジュン(Tanjung)〜ブラ カンバ(Bulakamba)〜クタングハン(Ketangguhan)といった街道沿いの各町内には、店を閉 めて売り家の貼り紙が見えるところも少なくない。 「2016年のルバラン帰省シーズンは、売上が三割ダウンしましたよ。最盛期には3千 個作ってましたが、今じゃ1千個です。生産者も8人使っていたのが今は4人ですよ。」 1985年に父親が開いた店を受け継いだコマルディンさん54歳は語る。 同業者の中には、県の援助でチパリのレストエリアに移った者も見られるが、かれはその 道を選ばなかった。テナント料金2千5百万ルピアを賄ったうえにそこそこの利益を残せ るかどうか、かれは確信が持てなかったのだ。 かれはサバイバルの道を探り、インターネットのグループ販売ネットワークに参加した。 そのルートでかれは週に5百個の販売を実現させており、地元での販売ルートと合わせて、 事業再建の道に励んでいる。 地元ブルブスでの販売をもっと掘り下げようと方向舵を転回させた事業主もいる。ブルブ スで祝祭事があると、塩漬け卵なしでは済まないのが地元の慣習になっているのだ。ハル ティニさん49歳はそこに目を付けた。 母と娘が一緒になって支えているその事業で、これまでもチャレンジがなかったことなど 決してなく、厳しい境遇が折に触れてやってくるのは当たり前のことだ、とハルティニさ んの母親ファトリカさん68歳は言明している。ファトリカさんは子供を育てながら部落 部落を巡って塩漬け卵を売り歩いてきた。片手で赤児を抱きかかえ、もうひとつの手で重 い卵のかごを下げてきたのだ。その塩漬け卵でかの女は6人の子供を成人させた。 事業主の中には、街道沿いで営んでいた事業をチパリのレストエリアに移すのが最善の対 策だ、と主張するひともいる。「自動車道を走って来た運転者が塩漬け卵を買いに国道に 出て来たり、あるいはわざわざ国道沿いの食堂まで食事をしに行こうなんて考えるはずが ない。事業の存続を望むなら、事業者がレストエリアという客のいる場所へ出て行かなけ ればならない。ほかに方法はないんだ。 確かにテナント料金は廉いものじゃない。しかしそれは値段に上乗せして回収すればよい。 自動車道通行者もそれは分かっている。価格が多少高くとも、買い物するために一般道に 降りることを思えば、多少の価格差は受け入れてもらえる。」 それを実践して、成功しているひとも中にはいるのだ。それが現実なのだ、とその事業主 は主張しているのである。[ 完 ]