「ひとみどろぼう(2)」(2018年04月03日)

バリ島の村に移り住んでほどなく、わたしが妻とふたりで近隣の地理を探ろうと散歩に出
かけたところ、隣村を歩いていたときに通りのど真ん中でひとりの農夫が誰何してきた。
頭ごなしによそ者を威嚇する姿勢がありありと示されている。おまけにズボンの正面には
鎌をさしているのだ。

バリでは野外作業を行う者はみんな鎌を持ち、鎌で枝や草を払う作業を行っている。ジャ
カルタ近辺では鎌でなくて鉈を持っていて、同じ用途に使っている。ところがひとたび喧
嘩ともなると、みんなその使い慣れた道具で斬り合いをすることになる。鉈の方が一見殺
傷力は大きいように思われるが、鎌とて馬鹿にはできない。鎌で殺される人間もいるのだ
から。

その農夫はわたしたち夫婦を嚇しながら、ズボンにさしている鎌をそのままの位置で直立
させた。「鎌首を立てる」という日本語が脳裏にひらめいたが、そんな悠長な場合ではな
い。われわれは慌てて来た道を引き返した。

バリ島は神の島だの天国だの、と思っているひとに見せてあげたいシーンのひとつがそれ
だ。


「ひと」を「見」たら「どろぼう」と思う「ひとみどろぼう」社会は現代文明から遠い社
会だ。一部の人間の性根は腐ったり曲がったりしているのに、どうして知らない他人を信
用する人間がいるのだろうか、という疑問を述べるひとがいる。

実はその「信用」という言葉こそが、現代文明のキーワードなのである。いっとき流行し
たハイトラストソサエティなるものは、信用というものを基盤に据えて、騙しや欺きへの
防御という非生産的な要素をミニマイズするのが社会効率を格段に上昇させることになる
というコンセプトのもとに構築された信用社会を意味する言葉だった。ちなみにインドネ
シア人の中に自分の国をロートラストソサエティどころかノートラストソサエティと呼ん
でいる者があることを付け加えておこう。

現代文明ばかりか、大昔から社会生活においては、他人に対して信頼と尊敬を示す態度を
持つことが社会人の条件とされていた。つまり他人を信用する姿勢が時代時代における文
明的人間に求められているあり方だったわけだ。他人を頭ごなしに疑う姿勢を示す者は野
蛮人扱いされたのである。よそ者を意味する「ひと」に敬語の「様」を付けて呼ぶ日本文
化にも、同様の文明感覚が流れていることを、付記しておこう。[ 続く ]