「サレンバ(終)」(2018年04月06日)

19世紀から20世紀初めごろまでに作られたバタヴィアの地図を見ると、サレンバ地区
はストライスウエイク(Struyswijk)と記されている。ストライス(Struys)は人名、ウエイ
ク(wijk)は英語のdistictに該当するオランダ語で、歴史記録をたどるとVOCの高官ア
ブラハム・ストライス(Abraham Struys)なる人物がそこを自分の私有地にしたようだ。1
676年3月13日の日付があるVOCの記録にかれの名前が登場している。

かれがその土地を手に入れたのは、もちろんメステル・コルネリスという地の利と、16
78年に建設されたバタヴィア城市〜メステル間を結ぶ幹線道路という好条件が大いに関
与していたにちがいない。

元々湿地帯だった自分の私有地を、かれは開墾して畑地や牧場にしたようだ。かれが没す
ると、ストライスウエイクは1664年に生まれた娘のアナ・ストライス(Anna Struys)
が相続した。アナはVOC高官ジョーン・ピーテルス・ファン・ホールン(Joan Pietersz 
van Hoorn)と結婚したが、子供ができず、26歳の若さで1691年にストライスウエイ
クで没した。

ジョーン・ファン・ホールンは1704〜1709年にVOCの第17代総督を勤めた人
物で、かれはアナ・ストライスを最初の妻にしたことで大きい経済力を手に入れ、総督へ
の道を邁進することができたようだ。

1699年10月22日に法廷が下した判決があり、そこにはジョーン・ファン・ホール
ンがストライスウエイクの土地の一部と330頭の牛、および種々の家財道具をドミネ・
キーセンガ(Domine Kiezenga)に5千リンギッで売却することを承認した内容が記されて
いる。

最初の妻を失ったジョーン・ファン・ホールンは1692年7月にスザナ・アフネータ・
ファン・アウトホールン(Susanna Agneta van Outhoorn)と結婚した。1672年生まれ
のこの二人目の妻は時のVOC総督ウィレム・ファン・アウトホールン(Willem van Out-
hoorn)の一人娘だ。ウィレム・ファン・アウトホールンは第16代VOC総督で、169
1年から1704年までその職に就いた。

だからジョーン・ファン・ホールンは前任者の娘を妻にして第17代の総督職に就いたこ
とになる。ただしスザナ・アフネータもバタヴィアで1703年に短い生涯を終えた。

ジョーン・ファン・ホールンは総督の任期の真っただ中で、三人目の妻を持った。結婚式
は1706年11月16日、かれの53歳の誕生日だった。かれの三人目の妻になったの
は1679年生まれのヨハナ・マリア・ファン・リーベーク(Johanna Maria van Riebeeck) 
で、かの女はジョーン・ファン・ホールンを後継して次の第18代総督となるアブラハム・
ファン・リーベーク(Abraham van Riebeeck)のふたり娘の長女だった。

VOCの高官のファミリーとなることが立身出世にきわめて大きな効果をもたらすという
当時の慣習をあますところなく物語っているようなストーリーだ。[ 完 ]