「クラマッ(4)」(2018年04月12日)

クウィタン町と言えば、わたしには1975年ごろに既述のブグル町のカリバル地区、ポ
ンチョル(Poncol)、パサルスネン、そしてクウィタン通りの奥に連なる狭い数本のクラマ
ックウィタン通りを頻繁に訪れた記憶がある。

いずこにも、プリブミに華人、そしてアラブ系やインド系の一家が混じって住み、クバヨ
ランバルのような裕福さは感じられないものの、ひとびとは貧しいなりに静かで落ち着い
た暮らしを楽しんでいるように見えた。


クウィタンという言葉の語源はもちろん中国語だ。その説明は下をご参照ください。
「白昼堂々の道端闇ドル商人」(2015年09月7〜9日)
indojoho.ciao.jp/150907_1.htm
indojoho.ciao.jp/150908_1.htm
indojoho.ciao.jp/150909_1.htm

またクラマッ通りとクウィタン通りの角地一帯はグヌンアグン書店のおかげでジャカルタ
随一の古本街になっている。百年を越える骨とう品のような古書籍もここへ集まってくる
から、オランダ語・英語・中国語などの稀覯本や地図などを趣味にする方は、そこで尋ね
てみるのも一興だろう。参照記事は下をご覧ください。
「クイタンは古本街」(2015年1月12〜14日)
http://indojoho.ciao.jp/koreg/hscap14.html


このクウィタン町にはもうひとつの特徴がある。それはジャカルタ全域をカバーするイス
ラム教世界で高い地位を持っていることだ。昔頻繁にその地区を訪れていたころ、たまた
ま金曜日の昼前に通りかかると、大勢のムスリムがサジャダを路上に敷いて座り、狭い道
路を占拠しているのに出くわした。車をそこへ乗り入れるのは不可能だ。いつも通ってい
る道を通り抜けることができないのである。

実は、そこで金曜日の礼拝と説教が行われていたのだ。きっと高名なウラマの説教があっ
たのだろう。近隣から大勢のムスリムが集まったために礼拝所に入りきらず、野外での催
しとなったにちがいない。クウィタンだからこそ、そのようなことが起こるのだというこ
とを、後になった知った。

クウィタンには、1870年クウィタン生まれのアラブ系貴人アリ・ビン・アブドゥラッ
マン・アルハブシ(Habib Ali bin Abdurrahman Alhabsyi)が1911年に興したマジュリ
スタッリムクウィタン(Majelis taklim Kwitang)があり、インドネシアで最初のイスラム
教育機関として古くから名声を保ってきた。

その結果イスラム教の頭脳とも呼びうる優れた人材がクウィタンに出現しては各地へ散っ
て行くという、宗教振興の震源地のひとつとなっていたのである。[ 続く ]