「pungkirは幽霊語」(2018年04月13日) 2015年6月11日付けコンパス紙への投書"Dipungkiri dan Dimungkiri"から 拝啓、編集部殿。「dipungkiri」であっても「dimungkiri」であっても、ひとは誰でもそ れを同じ意味で理解します。しかし忘れてならないのは、言葉というのは単に理解される かどうか、約定が確定されるかどうか、といったことがらだけのものではないということ です。できるかぎり法則に従うという関りも言葉にはあるのです。わたしがここで問いた いのは、それらの基語がpungkirなのかmungkirなのかということです。 mungkirであるなら、それに接辞me-iが付いた場合にmemungkiriとなるのは明らかです。 それどころか、基語がpungkirだと考えているひとたちですら、mempungkiriという形を使 おうとしません。ところが接辞di-iが付けられたとき、一部の人はdipungkiriを使い、他 の人はdimungkiriを使っています。 dipungkiriを使うひとは基語がpungkirだと考えています。かれらはKPST法則に囚わ れていて、基語の頭字がk−p−s−tの語に接頭辞me-, pe-が付くとその頭字が別の音 に変化する決まりに従おうとします。その結果pungkirの/p/が/m/に変化して、memungkiri という形になるのです。一方、接辞di-iが付く場合はその変化が起こらないので、dipung- kiriという形が使われます。ところがインドネシア語にpungkirという言葉はないのです。 どうしてか?そのテーゼを支える大きい理由がふたつあります。まずKBBIがpungkir という語の使用を勧めていません。KBBIのpungkirの項目には→mungkirとだけ示され ています。この辞書の解説には、→の左にある語は使用が勧められていないと記されてお り、われわれはその使用を避けなければなりません。 もうひとつは、語源学的にmungkirの語がアラビア語の名詞munkirに由来していることで す。その語はankaro-yunkiru-inkar-munkirの語形成パターンから生じているもので、taj- wid ikhfaのためにmunkirの語は声門閉鎖音が加えられてmungkirと変化しました。それが インドネシア語の中に吸収されて、動詞の単語のひとつとなっているのです。そのふたつ の理由から、われわれはmungkir-memungkiri-dimunkiriのパターンを使用するべきだと考 えます。mungkirは頭字が/m/であるため、どんな接頭辞が付こうとも、語形変化は起こり ません。dimiliki, dimasuki, diminumiなどと同様であって、dipiliki, dipasuki, dipi- numiなどという形になることはありえません。dipukuli, dipakai, dipanahiなどの基語 の頭字が/p/である語とは違っています。頭字が/p/である場合にk−p−s−t法則の適 用対象のひとつとなるのですから。 であるにもかかわらず、まだ大勢の話者そして筆者がpungkirを基語だと思い込んでいま す。おかげでdipungkiriという語をわれわれはあちらこちらで目にする始末です。201 5年5月9日付けコンパス紙のバハサ欄に掲載された「Pentil」と題するアンドレ・モラ ン氏の寄稿にさえ、出現しているのです。