「スネン(1)」(2018年04月16日)

クラマッブンドゥルの北側にスネン市場(Pasar Senen)がある。スネン市場の西側をまっ
すぐ北に向かって伸びているパサルスネン通り(Jl Pasar Senen)が、1678年にVOC
が建設したバタヴィア城市とメステルコルネリスを結ぶ幹線道路だ。

通りの西側にはまた別の商業センター地区があり、南端のプラザアトリウム(Plaza Atri-
um)から北に向けて三角形をなすこの地区がスネン三角地帯(segi tiga Senen)と呼ばれる
エリアである。

三角地帯の西側にはもうひとつの大通りがあって、ホテルボロブドゥル〜バンテン広場〜
郵便局〜グドゥンクスニアン〜パサルバルへとつながって行く。この大通りがスネンラヤ
通り(Jl Senen Raya)だ。

ジャティヌガラから北に向かってマトラマンラヤ通り、サレンバラヤ通り、クラマッラヤ
通りと名付けられていたバタヴィア最古の幹線道路は突然パサルスネン通りとなり、後代
に作られた枝分かれ道路がスネンラヤ通りとなっている。これは少々トリッキーな話であ
るにちがいない。

そのスネンラヤ通りは1770年の地図にまだ現れておらず、後で触れるガンクナガ(Gang 
Kenanga)が1678年に建設されたバタヴィア城市とメステルコルネリスを結ぶ幹線道路
と、今のガトッスブロト陸軍中央病院のある場所を結ぶメイン道路になっていた。そのガ
トッスブロト陸軍中央病院のある場所に建てられていた大邸宅の壮大な表門のすぐ前を横
切るかのように、スネンラヤ通りが後になって作られたにちがいない。


パサルスネン通りは中央ジャカルタ市スネン郡スネン町を貫通する8百メートルほどの短
い道路だ。スネン市場の横を通り過ぎれば、幹線道路はグヌンサハリラヤ通り(Jl Gunung 
Sahari Raya)へと再び名を変える。そこがスネン郡スネン町の北端にあたり、その北側は
道路の東側が中央ジャカルタ市クマヨラン(Kemayoran)郡南グヌンサハリ(Gunung Sahari)
町、西側は中央ジャカルタ市サワブサール(Sawah Besar)郡パサルバル(Pasar Baru)町に
なる。

このスネン市場はバタヴィア最古の市場のひとつであり、市場が設けられたとき、日曜日
が市日とされたことからパサルスネンの名が付けられた。スネン市場の建設が開始された
とき、タナアバン(Tanah Abang)にもそれと前後して市場が建設されたので、スネン市場
とタナアバン市場がバタヴィア最古という称号の双璧をなしているということになる。
[ 続く ]