「ミナンカバウの旅(2)」(2018年04月26日)

14〜15時: アナイ渓谷の滝
パリアマンからパダン〜ブキッティンギ(Bukittingi)街道に戻って北に向かうと、パダン
パンジャン(Padang Panjang)の町に入る17キロほど手前に見事な滝がある。35メート
ルのアナイ渓谷(Lembah Anai)の滝は豊かな水量を滝つぼにほとばしらせている。
街道の脇にあるのだから、このあたりでちょっと休憩したい通行者たちが気楽に立ち寄る
場所になっていて、けっこう賑わっている。この崖の上までやってきている川はシンガラ
ン山(Gunung Singgalang)を源にするバタンルラダラム(Batang Lurah Dalam)川。
滝つぼの冷たい水に身を躍らせる若者はどこにもたくさんいるものだ。場所によっては、
心ばかりの若者も同じようにしているのを見かけるのだが、ここにあまり水浴者の姿がな
いのは、道路脇という立地のためだろうか、それとも滝水の激しさのためなのだろうか?

15〜16時: カワダウンコーヒー
パダンパンジャンの町を抜けて北へ向かえばブキッティンギだが、ちょっと寄り道をしよ
う。北へ向かわずに東行してタナダタル(Tanah Datar)県の県庁所在地、かつてのミナン
カバウ王国の首府として栄えたパガルユン(Pagarruyung)を擁するバトゥサンカル(Batu 
Sangkar)の町を目指す途中にパリアガン(Pariangan)地区がある。
インドネシアでコーヒーが今のようなブームを巻き起こす前、コーヒーはオランダ植民地
政府にとっての輸出戦略物資であり、オランダ人はインドネシア全土にコーヒーを植えさ
せ、その収穫をできる限りたくさん召し上げて世界中に輸出した。コーヒーに囲まれてい
ながらインドネシアの民衆はあまりコーヒーと縁のない暮らしをし、コーヒーを飲む習慣
は民衆の間に培われなかったのだ。
ワルンコピー(warung kopi)は肉体労働者たちの精力回復の場と位置付けられたために、
知識層や中産階級が近づく場所にならなかった。1970年代前半はジャカルタですら、
コーヒーショップはホテルの中にしか存在せず、カフェという名を付けた店を訪れる客は
軽食を求めてやってくるひとがほとんどを占めていた。

オランダ植民地政府がインドネシアの全土にコーヒーの木や苗を持ち込んだというのが歴
史の概説に書かれていても、それまでヌサンタラの住民がだれひとりとしてコーヒーとい
う植物を知らず、かれらの土地にコーヒーの木が一本もなかったわけでは決してない。
インド洋を越えてスマトラ島西岸にやってくるアラブ人やインド人の通商ルートは、ヨー
ロッパ人がやっくる数千年前からできあがっていた。アフリカ〜中東に由来するコーヒー
がそのルートに乗ってミナンカバウの地にもたらされたのも、当然の帰結だったろう。

ただ残念なのは、何がどう間違ってしまったのか、ミナンカバウのひとびとはそれを茶の
木と同じ扱いにしてしまったのである。茶の木は葉を刈り、それを煎じて飲む。コーヒー
の木の葉も同じようにされた。コーヒーの実は顧みられることもなく、地上に散乱するに
まかされていた。

パリアガン地区で飲んだカワダウンコーヒー(kopi kawa daun)はヤシの実の殻のカップが
使われ、温かいその飲料は苦さと甘みが入り混じっていた。お好みでミルクでも砂糖でも、
好きなように混ぜればよい。一緒に供されたピサンゴレン(pisang goreng)やバッワンゴ
レン(bakwan goreng)をツマにして味わったカワダウンからは、ひなびた素朴な郷愁が旅
人の胸中に立ち昇って来た。[ 続く ]