「プラム式綴り方」(2018年05月03日) ライター: 言語オブザーバー、著述家、パムスッ・エネステ ソース: 2006年5月19日付けコンパス紙 "Ejaan Pram" サロモ・シマヌンカリッはかつてこのフォーラムで、プラムディア・アナンタ・トゥルが 使ったbanyak seorangという表現について触れた。その表現は2005年2月6日にタマ ンイスマイルマルズキで行われたプラムのスピーチからとられたものだ。「勇気と性格に ついて言うなら、アチェはbanyak seorangであるとわたしは言いたい。一方、ジャワや他 の地方ではbanyak orangなのだ。」とプラムは述べた。(2005年12月9日付けコン パス紙) プラムが新表現を世に示したのはそのときの一回だけではない。小説「人間の大地」(第 七刷、2001年)を精査?してみるなら、かれの文学活動の初期からseharmalやsassusの ような新表現が打ち出されていたことがわかる。seharmalはsehari semalamの短縮語だ。 例えば次のような文章: Diramalkan akan cuma seharmal! Hanya seharmal! (3頁) sassusはdesas-desusの短縮語。 Sassus, sembunyi-sembunyi diucapkan di antara teman-teman sekolah... (4頁) プラムの特徴はそればかりでない。「人間の大地」を読み進んで行けば、mysteri(1頁)、 syah(22、40頁)、sekali pun(25,32,37頁)、ethymologi(33頁)など が次々に登場する。それらの単語をわれわれは通常、misteri、sah、sekalipun、etimo- logiと綴る。プラムはまた子音にはさまれた/e/の文字を脱落させる。kranjang babi (5頁)、ketrampilan(7頁)、prilaku(10頁)、klas(32,33,38頁)、 blacu(26,27頁)、glagah(34、35頁)、grobak(41頁)のように。 現在定まっている綴り方の規則では、二語以上の単語から成る熟語は、orang tua、rumah sakit、kereta apiのようにスペースを置くことになっている。ところが「人間の大地」 の中でプラムは、terimakasih、orangtua、tigabelas、kantorpos、matakeranjang、 sepakbola、tuanmuda、warganegara、rumahpelesir、tigapuluhan、anaktangga、 rumahtangga、mejamakan、ruangtamu、suratkabar、buahdada、coklatmuda、susucoklat、 airmuka、kurangajar、luarbiasaという書き方をしていて、規則から逸脱しており、おま けに一貫性がない。 というのは、規則に従ったものもあるからだ。kereta api(3頁)、karangan bunga (3頁)、buaya darat(11頁)、serba merah(11頁)、istana pribadi(12頁)、 kayu jati(12頁)、mata sapi(32頁)、topi bambu(27頁)、grobak dorong (41頁)、kaca putih(41頁)、というように。 それどころか、連結記号(-)を使ったものまで混じっている。ilmu-pengetahuan(3頁)、 nenek-moyang(3頁)、jerih-payah(3頁)、gigi-emas(5頁)、nama-keluarga (6頁)、pesta-pora(7頁)、tempat-duduk(36頁)、gaun-panjang(36頁)の ように。 われわれはserba-という語を連結辞と考えているが、「人間の大地」の中にはそれが自立 語として出現する。serba merah(11頁)、serba bagus(14頁)、serba indah (20頁)、serba hitam(40頁)。 プラムは外国語や地方語に脚注をつけているものの、付け忘れられたものもある。たとえ ばphyloginic(1章と2章に6回出てくる)、standen、pendule、E.L.S.、H.B.S.などだ。 もちろん、上で挙げたような綴り方がどこまでプラム本人の意志なのか、あるいは出版社 ハスタミトラ編集部がどこまで関わったのかについて、われわれには知る由もない。熟語 に関する三つの表記法がプラムの意志(プラムスタイル)なのか、あるいは編集部の意志 (編集部スタイル)なのか、どちらなのだろうか? 去る4月30日(日)に永眠したプラムにわれわれはもはやそれを尋ねることさえできな い。プラムの作品を出版した出版社だけが、その問いに答えることができる。 その答えがいずれであろうと、今後出される新版ではプラムの著作の綴りが見直される必 要がある。少なくとも綴り方の規則に沿ったものに改訂されて、読者に混乱を与えないよ うに配慮されるべきだろう。