「グヌンサハリ(終)」(2018年05月11日) タバコ長者として巨大な富を築いたプカロガン(Pekalongan)出身のウイ・タイロー(Oey Thay Lo)の四人目の子供として1827年にバタヴィアで生まれたタンバッシアは、15 歳のときに父親を失った。莫大な遺産を受け継いだ少年の人間性がどのようなものになり かねないのかは、想像に余りあるにちがいない。 かれの姓名はウイ・タンバ(Oey Tamba)であり、シアというのは華人コミュニティ統率者 とその代々の子孫に与えられる称号だったそうだ。舎という文字が当てられ、名誉な家系 ということで子孫に役職が与えられることも少なくなかったらしい。 ただし近代化が進んだころ、西洋化の教育を受けた上流華人層の子弟の間で、舎の称号は アナクロニズムだという思想が広まり、その習慣は先細りになっていった。親や先祖のお かげで舎の称号を得た、スポイルされた子孫たちが、他人の困窮や苦難に意を払わない姿 を往々にして示すことから転じて、インドネシア語のsia-siaの語源となったという説も ある。真偽のほどはわからない。 現代インドネシアでウイ・タンバッシアはOey Tambahsiaと綴られているが、正確にはOey Tamba Siaだということのようだ。 このウイ・タンバッシアとアンチョル橋の美女(Si Manis Jembatan Ancol)に関するスト ーリーは拙作「アンチョル橋の美女」 http://indojoho.ciao.jp/archives/library02.html でお読みいただけます。 [ 完 ]