「ジャカトラ通り(1)」(2018年05月14日)

1678年にVOCが建設したバタヴィア城市とメステルコルネリスを結ぶ幹線道路は、
バタヴィア城市南側のプチナンから南東におよそ2キロ離れた場所に設けられたジャカト
ラ要塞(Fort Jacarta Buiten Batavia)とメステル・コルネリスを結ぶ形で作られた。た
だし北端はアンチョル海岸まで伸ばされている。

1660年ごろのバタヴィア城市とその周辺地域の地図を見ると、要塞(fort)の区分に属
する大型防衛陣地で城市の外に出城として設けられたものには、次のようなものが見られ
る。

東方 アンチョル要塞 (Fort Ansjol) 1656年完成
バタヴィア城市東側城壁から東へ3.4キロ
現在のブンヤミンスエブ通り(Jl Benyamin Sueb)がアンチョル川を越えてロダンラヤ通り
(Jl Lodan Raya)に合流する地点

南東 ジャカトラ要塞 (Fort Iacatara Buiten Batavia)
バタヴィア城市南城壁(現在の国鉄コタ駅)から直線距離で2キロ
現在のパゲランジャヤカルタ通り(Jl Pangeran Jayakarta)とグヌンサハリラヤ通り(Jl 
Gunung Sahari Raya)の合流点

南方東側 ノルドウエイク要塞 (Fort Nortwyck) 1658年完成
バタヴィア城市南城壁(現在の国鉄コタ駅)から直線距離で4キロ
現在の国鉄ジュアンダ駅の東側にある、ヴェテラン通り(Jl Veteran)に面した建物の位置

南方 レイスウエイク要塞 (Fort Ryswyck) 1656年完成
バタヴィア城市南城壁(現在の国鉄コタ駅)から直線距離で3.5キロ
現在のハルモニ交差点西側にあるイスタナハルモニ(Istana Harmoni)アパートメントのす
ぐ北側

西方 フェイフック要塞 (Fort Vijfhoek) 1657年完成
バタヴィア城市南城壁(現在の国鉄コタ駅)から直線距離で2キロ
位置は現在のトゥバグスアンケ通り(Jl Pangeran Tubagus Angke)の北にある運河(旧名
Bacherachtsgracht)とクルクッ川(Kali Krukut)の合流地点と説明されているのだが、
地図を見ると現在のクルクッ川よりずっと西にあって合流する水路などない場所になっ
ている。川の位置が変わった可能性を考慮して、地図の方を参照した。

更に西方 アンケ要塞 (Fort Ancke) 1657年完成
バタヴィア城市南城壁(現在の国鉄コタ駅)から直線距離で4.4キロ
アンケ川(Kali Angke)とアンケ水路(Saluran Angke)の分岐地点

それらの要塞はすべてバタヴィア城市と道路や運河で繋がっていて、要塞への増援や要塞
からの撤退の便が確保されている。加えて砦(bastion)に区分される小規模防衛拠点があ
ちこちに無数に配置されていた。初期のバタヴィア城市の防衛ライン構想はそのようなも
のだったらしい。[ 続く ]