「インドネシア人の英語発音」(2018年05月18日)

ライター: 短編小説作家、ソリ・シレガル
ソース: 2012年3月2日付けコンパス紙 "Lafal Inggris Indonesia"

インドネシア語スタイルで音素ごとに英単語を発音しようとする傾向は、わが国でもはや
当たり前のものになっている。debt collector をdet kelekte と発音するインドネシア人は
ほとんどおらず、日々われわれが耳にするのはdeb kolektor (デブコレクトル)だ。debt 
はdet と発音されずにdeb となり、collector はkelekte でなくkolektor となっている。

コンピュータショップの店員は身勝手にもinstall をinstal (インスタル)と発音して「イ
ンストール」と言わない。ドーナツ販売チェーンの店員はわたしの発音をわざわざ言い直
して、自分の正しい(と思っている)発音をわたしにデモンストレーションした。わたし
の注文したオレンジジュースのサイズを尋ねた店員は、わたしが「jambou」と答えたの
に対して、わざわざ「ジュンボ」と声を張った。

Bank Century 事件を審問している国会第3委員会の議場でCentury を「センチュリ」と
発音していた出席者はブディオノ副大統領ただひとりで、他の人々の口から聞こえてくる
のは「セントゥリ」ばかり。オランダからインドネシアが購入しようとしている中古の
Leopard 型戦車をテレビのニュースキャスターは軒並みleopard と発音し、leped という
正しい響きは耳にしたことがない。

テレビのインタビューを受けたひとびとはextraordinary をekstraordinari (エクストラオ
ルディナリ)と言い、英国人の言うイクストゥロードゥヌリあるいは米国人のイクストゥ
ローデネリといった発音は耳にできない。英国人と米国人が使う英語の中に、綴りや発音
が異なるものはいくつかあるのだ。

わが国でインドネシア化が起こるのはそういった違いによるものでなく、むしろわれわれ
の正しく発音する能力に関わっているのだろう。facebookを発音するのに、[feisbuk]と
言わずに[fesbuk]と言い、emailは[imel]で、take offは[teik off]でなく[tek off]となるひ
とは、正しく発音する能力に問題があるのにちがいない。

この癖は、実は決して新しいものではないのである。半世紀以上前に、ジャカルタのクバ
ヨランバル地区にパサルマイェスティッ(Pasar Mayestik)という名前の市場が作られた。
このマイェスティッという発音は英語majesticという語からとられたものであり、マジェ
スティッと発音されるべきものだ。

ただその発音と共に、綴りもmayestikに変えてしまったのはたいした度胸である。もちろ
んこの姿勢の方がよいのであって、英語やその他の外国語をインドネシア語式発音で述べ
るのであれば、綴りもそれに合わせて変えられるべきだ。マレーシア人は英語のtire(タ
イヤ)を発音も綴りもtayarとした。

英単語の発音をわれわれの好きなようにインドネシア化することで、われわれは英語独自
の綴りと音韻法則の関係から免れることができる。英単語の発音をインドネシア語化し、
それに合わせたインドネシア式綴りに変えたなら、文字を読める者は英語の文章をきわめ
て容易に発音することができるようになる。たとえ意味が分からなくとも。

英語をネイティブのように発音する能力がないために英単語の正しい発音に四苦八苦して
いるのなら、もっと安全な道を選ぶべきだろう。つまり、どうしてインドネシア語を使お
うとしないのか。インドネシア語にpenagih utangという言葉があるにもかかわらず、ど
うしてdebt collectorを使わなければならないのか?debt collectorという言葉を使ったか
らといって、話者のインテリ度がアップするわけではないだろう。言葉を使うというのは、
それに付随しているすべての法則や決まりに則して言葉を操るということなのだから。